タイトルの問いには、イエスといちエンジニアの卵としては即答するものの、日本がどの分野で特に強みを発揮していくのかが問題である。
本書はそれを環境技術だというが…。
本書の内容を超大雑把にまとめると、
「日本の子供たちは夢をもてない」→「日本は豊かになったが今後の方向性が見えないからしらけてるんだ」
→「環境問題解決という高邁な理想を掲げ皆で取り組もう」→「本当は凄い日本の科学技術大活躍!子供たちも夢を持つようになるだろう」
という具合である。
まぁ、鳩山由紀夫もこういう考え方をしていた(る)んだろうなぁと思った。
著者が衝撃を受けたという調査結果によれば、子供たちが夢をもてない原因は「失業の不安があるから(73%)」が圧倒的多数である。
別に日本に理想がないからとかそんなんではない。もっと差し迫った日常の不安である。
ニート、フリーター、ワープア、リストラ…とかくこの国の現状は不安材料に事欠かない。
実際豊かになったのは著者や鳩山由紀夫氏など一部の人間だけで、実際には豊かさなど感じてない人たちがたくさんいるわけなのだが、
東大を出てMITで博士号をとり(ああ、ここまで鳩山氏と同じだなぁ)、その後東大教授まで登りつめ、
現在は科学技術振興機構なんていかめしい名前の理事長を勤めておられる著者にはそれが理解できないのだろう。
それで、「豊かになったはずなのに子供たちが希望をもっていないのは…」とはじめから違う方向に考えてしまっている。
というか、日本を救うとかよりもまず環境技術の振興が、まず著者にとって先にあるんではないかと思った。
そもそも環境技術は生活を便利にする類のものではない。環境技術の推進力は地球環境問題の解決という理想に基づいている。
だから、環境技術を推進するには「第4の価値」とか「地球防衛隊」なんて胡散臭い言葉も出てくる。
そうしてまで結論がそこへ集約するのは、目的と手段が逆転しているからじゃ?
さすがに邪推かもしれないが、そんな印象を受けた。実際3章以降は展開が強引である(逆に言うと2章まではそうでもない)。
3章以降「日本はこれから精神的な価値を求める必要が云々」とあるが、そういう論理ならば、
少なくとも高邁な理想は必要ないという意味で、環境立国よりかは観光立国やコンテンツ立国のほうが私にはまだありえそうに思える。
結局国民が求めているのは高邁な理想なんてものではなく、著者がもう手に入れたと思っている豊かな生活なのではないかと思うが…。
まぁ豊かな生活とは何かという議論もあるが、少なくとも地球を大事にすることとは思えない。もちろんそれ自体は立派なことだ。
しかしそれは学識豊かで安定した生活と高い地位・収入のある著者の目標であって、まだまだ一般的な国民の目標にはなりえないように思う。
少なくとも、私にはワープアの人たちに向かって「これからは自分のことばかりでなく地球のことを考え…」なんてこと到底言えない。
…なんだかんだと言ってきたものの、基本的に統計・事例に基づいて論理展開しているので、考えるベースになるのはたしかである。
オススメできるわけではないが、興味があって時間が許すならば読んでみるのもよいと思う。
…ところで、この本からはソフトウェア産業が影も形も見えなかったのはいったいどういうことだろう。そういうことですか。ですよね。