ヴァニーヴァー・ブッシュ(Vannevar Bush)と言ふ人物を御存知だろうか?
ヴァニーヴァー・ブッシュ(1890~1974)は、「マンハッタン計画」の名で知られる原爆製造部隊を立ち上げた科学者である。ヴァニーヴァー・ブッシュは、同時に、微分解析機と呼ばれる初期のコンピューターや、ハイパーテキストの原型とも呼ぶべきメメックスと言ふ装置の発明者でもあった。即ち、彼は、原爆とコンピューターと言ふ、20世紀後半のアメリカにとって、死活的とも言ふべき二つのテクノロジーの誕生と成長に決定的な役割を演じた科学者だったのである。
33歳でマサチューセッツ工科大学(MIT)の電力伝導学教授と成ったヴァニーヴァー・ブッシュは、48歳の時に、カーネギー研究所の所長と成る。そして、その地位から、ハリー・ホプキンスの斡旋で、フランクリン・D・ルーズヴェルトに会ひ、国防研究委員会(NDRC)と言ふ国防の為の科学振興を企画、推進する委員会を立ち上げる。--このブッシュ率いるNDRCこそが、イギリスで開始された原爆開発計画をアメリカの物とし、「マンハッタン計画」と言ふ名の原爆製造部隊を立ち上げ、アメリカを核時代に導いたのである。
本書は、そのヴァニーヴァー・ブッシュが、科学者として、そして、政治家として、行なった事を史料に基いて、詳細に記述した本であるが、ヴァニーヴァー・ブッシュのこうした役割から予想される様に、原爆の開発を通じて、アメリカの科学技術が、どの様に変質したかを解明する事を主題として居る。
本書を読むと、原爆が製造される過程で、アメリカにおいて、科学と科学者の役割がいかに変質したかが良く理解される。又、故アイゼンハワー大統領(この大統領は、軍人時代、日本への原爆投下に反対した人物である)が、1961年のお別れのスピーチで警告した「産軍複合体」の起源が、実は、原爆製造に有った事が良く理解される筈である。
そして、これは、既にアルペロヴィッツなどの歴史家によって論証され尽くした事であるが、アメリカが日本に原爆を投下した理由は、「日本が降伏しなかったから」でも「百万人の生命を救ふ」為でもなかった事が、痛感される筈である。
第二次世界大戦が終結して60年間、日本は、唯一の被爆国であった。その故に、日本人が、広島と長崎の惨禍を記憶し、世界に伝えようとして来た事は、当然であった。しかし、皮肉にも、その被爆体験を語り、伝えようとする気持ちの余り、日本人は、アメリカが、原爆を製造し、使用するに至った歴史を知る努力をおろそかにして来た面が有ったと、私は、思ふ。本書は、私達に、私達が知る事をおろそかにして来た、そうした歴史を語る貴重な一書である。
(西岡昌紀・内科医/広島と長崎に原爆が投下されて60年目の秋に)