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7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
私はこの五木さんの本で初めて歎異抄を読みました。,
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レビュー対象商品: 私訳 歎異抄 (単行本)
私はこの五木さんの本で初めて歎異抄を読みました。初学、という観点からは、読みやすい本であり問題なく読了することができました。 以前には別本で歎異抄に挫折した経験があった、という点では初めてのものにとって読みやすい、という意味です。 次に、別の著者(訳者)の歎異抄や、真宗教団の歎異抄の現代語訳と対比しながら読んでみると、相応の相違点が発見されました。 語順が違っていたり、本文に無い箇所の補足や、二重否定表現を肯定文に言い換えるなどが主たる相違ですが、本文解釈にかかわると思われる点も散見されました。 この点については、本書は五木先生が「私訳」としてご出版されたものであり、先生のご見解の表明であるということを了承の上で読めばよいことと思われます。 なぜなら、歎異抄は(古代ギリシャ語及び写本の問題という点で正文批判の極めて難しい聖書とは異なり)古語とは言え日本語で書かれたものであり、しかも本書には歎異抄の本文が収録されているので、読者が直接原典に触れて考えることが可能であるからです。 このような原典との相違をまず指摘しました。 しかし親鸞の、若しくは著者である唯円の「他力」概念については、初読のものにとっても誤読の余地のない十分な訳出がされています。 また、「悪人正機」概念については、五木氏のものであるかもしれませんが、上述の「他力」概念と矛盾の無い説明がなされています。 この点において、初読者を誤らせる恣意的な訳ではない、という点において、訳として一定の水準は確保されていると思います。 以上の点から、歎異抄に触れたことのない方の場合は本書は問題なく推奨でき、そうでない方なら五木先生のご見解を知りたいという場合に有用であると思います。
30 人中、24人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
現代に生きる『歎異抄』,
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レビュー対象商品: 私訳 歎異抄 (単行本)
親鸞(1173~1262)に関しては、たとえば「しぶとくしたたかに『非僧非俗』の一生を貫き、年をとるほど円熟した思想を展開した」(末木文美士『日本仏教史』新潮文庫)人物との評価も可能であるが、同時に、浄土教の三大経典の一つである『大無量寿経』の「大胆きわまる乾坤一擲の読み替え」(大峯顯『君自身に還れ』本願寺出版社)などを行った、日本史上希代の宗教者とも言い得るのではなかろうか。『歎異抄』は、その親鸞の「日常、若い門弟との間に交わされた、何の飾り気もない率直な対話」(『歎異抄』本願寺出版社刊)などを詳記したもので、親鸞の直弟・唯円房(ゆいえんぼう,1222~1289頃)がその筆者といわれている。実際、「『歎異抄』はいかにも人間くさく」、「その深い人間洞察に離れがたい魅力」(末木前掲書)があり、「仏教書のロングセラー」(同)でもある。 この五木寛之氏の『私訳歎異抄』は、無論、氏の「主観的な現代語訳」であり、従って氏が述べるごとく「唯円が歎く親鸞思想からの逸脱かもしれない」(本書まえがき)。だが、親鸞が『大無量寿経』というテキストを大胆に読み替えたと同様、親鸞思想を説く『歎異抄』を、五木氏が「『私』」にこだわった」(同)大胆な現代語訳を行っても、私は全く違和感を覚えない。大峯氏も語るように「テキストには常に解釈が必要」(大峯前掲書)だからだ。 なお、五木氏の仏教に対する思いについては、「五木寛之こころの新書」シリーズ(講談社刊)の『仏教のこころ』や『自力と他力』などを併読されると、一層の理解が深まると考える。
5つ星のうち 3.0
他力本願の思想のラジカリズムには圧倒される,
By あまでうす (神奈川県) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 私訳 歎異抄 (単行本)
浄土宗と浄土真宗はつくづく革命的な宗教だと思う。仏や悟りや成仏について自力であれこれ苦労してかんがえたり悩んだり難行に取り組んだりするひつようはごうもない。ただただ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えればどんな人間でも極楽往生できるというのだから。即身成仏をめざす真言宗や六根清浄をねがう天台、法華一乗の徒が怒り狂って朝廷に強訴したのもとうぜんだろう。それまでの宗教がことごとく自力本願であり、近代以降も人間力の根幹は自己の主体性の涵養であったことをおもうと、この他力本願の思想の簡明さと平民性と思考放棄のラジカリズムにはつねに圧倒される。 されど南無阿弥陀仏だけでくよくよ悩まずに天国に行けたらいいけれど、そんな簡単なことで大丈夫なんだろうか、とかえって心配になってくるほどだ。さらに「悪人なほもつて往生をとぐ。いはんや善人をや。」ということになると、いささか行きすぎのようにも思えてくる。 だがさにあらず。親鸞にとってすべての人間はたまには善人にもなることができる悪人であったから、まずそうゆう普通の悪人がはやく現生を卒業して来世で仏になってはやく現世に戻ってきてくれれば、教祖としてはハッピーなのであった。 ちなみに歎異抄とは親鸞の著作ではない。開祖没後三〇年、その教説をめぐって数多くの「異」説が登場して相争う状況を「歎」いた直弟子唯円のメモランダムなのである。
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