表題作「私は貴兄のオモチャなの」にある、これほどに秀逸な瑞々しさと痛みの交錯した画を観た事がない.主人公の少女が自宅の庭にホースで水を撒く.そこには儚い夏の輝きとともに果たせなかった恋情の残酷な結果があざやかに象徴されている.恋愛は成就しようが否かに関らず、甘い至福だけを決して齎してくれない.狂おしいほどに相手を求めてしまう事.そこには目を覆いたくなるほどの自己のおぞましい悪意や薄汚さを嫌というほど思い知らされる現実が待っている.少女は裏切られ、輪姦されても耐えた.しかし、どれだけ耐え、相手を望んでも男は振り向いてくれず、夏は終わってゆこうとしている.作品の結末近くに存在する前述のシーンの中には、一瞬の儚い輝きと絶望の交錯を知った少女の痛みと-例えかりそめであっても-ほのかな幸福が、宿っていた.