書名に惑わされた感が強いだろう。
序盤から延々と事件関係者の回想録、あるいは取材心覚えとでもいう内容が続く。
1事件3〜4ページの記述で、内容としてある当事者からの立場を述べる内容のものが過半。
ちょっと退屈するかもしれない。
ただ、大坂知検特捜部の作り上げた冤罪として記憶に新しい村木厚子女史の供述を江川紹子が構成したものと、最後にある保阪正康の「事件から貌が消えた」という論考は示唆に富む。
前者は障害者郵便制度を悪用した「凛の会事件」で検察の虚構のストーリーに当てはめられて、逮捕拘留されたキャリア官僚の話。検察の調書というのはこういう風に巻いていくのか、と教えてくれるだけでも検察調書の信用性に疑問を持たざるをえなくなる。
後者は戦後の犯罪史をいくつかのエポックでくくりだし、日本の今の姿を犯罪形態から探ろうとするもの。戦後まもなくから60年安保ころまでは、謀略を推測させる事件があったが、今やそういう犯罪は消えて内向きの国になった。外人による犯行が起きた時に柔軟に対応ができなくなっているという指摘は分かりやすい。また、バラバラ殺人は怨恨の強い者の犯行だったが今は単なる証拠隠滅の手段になっていること、三菱銀行北畠支店事件の犯人梅川昭美と秋葉原通り魔事件の犯人加藤智大の共通性(社会からの疎外感)−−などなど。社会の規範から逸脱してしまった時、規範自体が存在感を失ってしまっている現状では犯罪と普通の社会生活の垣根がなくなってしまっている、という。「休火山の上の裸踊り」と筆者は言うが。
この2編を読むだけで十分に価値はあるかもしれない。