ファン・メーヘレンの伝記とは言え、作者はついついファン・メヘーレンの気持ちに言及してしまったり、ファン・メヘーレンに大して批判的になってみたり、逆に肩入れしてみたりと、なんだかファン・メヘーレンに翻弄されているところも含めて読み応えがありました。
これまで多くの文筆家がファン・メヘーレンの伝記を書きたくなるのも、そのつかみどころのなさかもしれません。
でも、本書から感じたのは「ファン・メヘーレンは、フェルメールになぞらえて自分の人生を『作品』として完成させたのかもしれない」ということでした。
フェルメールの作品数が把握できないように、ファン・メヘーレンの贋作数も把握できませんし、同じように毀誉褒貶の激しい人生を(フェルメールの毀誉褒貶は死後の話ですが)送っているのも、なんとなく共通性を感じられます。
ことによったら、ファン・メヘーレン自身は(たとえ本人がそれを嫌っていたにせよ)時代の空気の中で、実はダダイストだったのではないかとも思ってしまいました。ばかばかしいまでの技術の追求や享楽的な生活、世間の騒がせ方等々、作品そのものより彼の行為が芸術(というかハプニング)であるあたり、まさしくダダだなあと。
翻訳は我が国を代表するフェルメール研究家の小林頼子氏なので、実に読みやすく、また訳者後書きも作者に迎合することなく、きちんと読むべき価値のあるものになっていて、得した気持ちになれます。
ってなまじめな話は抜きにして、「ああ鑑定家や収集家じゃなくてよかったぁ。『このフェルメールは駄作だねえ』とか無責任に言ってられるもんなあ。どうせ買えないしね」などと思いながら、美術評論家がこてんぱんにやられる様を見て快哉を叫ぶも良し、同情するもよし、ファン・メヘーレンの難儀な生涯に感嘆するも良し、エンターテイメントとしてもいろいろな楽しみ方ができるので、美術好きにはお薦め。手元にフェルメール全作品集があるとなお良し、です。