今をときめく思想界の“スティーブン・セガール”こと内田樹(※どちらも合気道をたしなんでいる)が、評論家として活躍し始めたころの単行本『私の身体は頭がいい』の文庫版。今回の文庫版には、単行本出版以降に彼が書いた身体論・武道論関連の論文とエッセイ―筆者いわくボーナストラック―が追加されているため、かなりのお得感。
内田氏が最終的にたどりついた合気道という武道の目指すところは、「主と奴の弁証法」という関係性をいかに超克するかということだと思う。この「主/奴」の関係は、「富/貧」、「男/女」などの社会のあらゆる場面に蔓延っている。我々はこの二項対立の図式に当てはめなければ思考できないという「業」のようなものを負っているわけである。そしてしばしばこの図式は、「味方/敵」「生/死」という悲劇的な結果へと結びつく。
このように人間にとって本源的であるはずの二項対立の図式を脱臼するために、内田“スティーブン”樹が合気道のエッセンスをブレンドすることで組み立てた“複素的身体論”とはいったい何なのか?
それは本書を見てのお楽しみ。
「均質的なものについて」の章で、彼の思想的マニフェストと、というよりも「私には思想的マニフェストがありません」というマニフェストを表明している(これはマニフェストなんだろうか、そうじゃないんだろうか)。でもそれは単なる文化的多元主義ではない(なぜならそれも“主義”であり、立派なイデオロギーだ)。
だから、以前私が彼の『子どもは判ってくれない』のレビューで彼を「固執しないことに固執する」人物だと評したが、どうやらそれには修正が必要である。彼の話からすると「固執しないことに固執する」という時の後ろの「固執する」かどうかも、その場になってみないと彼自身にもわからないのだから。
彼自身は、それは気分で決まる。つまり気分次第だという。
冒頭で私はスティーブン・セガールと名付けたが、実は彼は「思想界の雲のジュウザ」だったのである。さらにその気分を決定するのは彼にとってはいつの日も身体。それ故に内田樹の身体は頭がいいのである。
お後がよろしいようで。