出版社 / 著者からの内容紹介
【多くの成功者が読んでいた! 伝説の億万長者が明かす、財産と金銭の真実】
日本中のお金持ちに、「人生でもっとも影響を受けた本」を1冊だけ挙げてもらうとしたら、1950(昭和25)年に実業之日本社から出版された本多静六の『私の財産告白』が、トップクラスにランクインするはずです。
最近では、岡本吏郎氏の『お金の真実』(ダイヤモンド社)や土井英司氏の『成功読書術』(ゴマブックス)でも紹介され、時代や世代を超えて再び脚光を浴びつつあるこの古典的名著が、実業之日本社からオリジナルの形で復刊されました。
本多静六(1866-1952)は、林学が専門の東大教授でありながら、独自の蓄財法と人生哲学をもって、一代で巨額の財産を築くことに成功した人物です。この本の中で本多博士は、偽善者の仮面を脱ぎ捨て、「財産や金銭についての真実をぼんやりさせて処世の要訣を説こうとするなどは、およそ矛盾も甚だしい」として、お金の大切さと成功の秘訣を、包み隠さず告白しています。「4分の1天引貯金」や株式投資法は、単純ながらいまでも通用する蓄財の基本。「現代人に送る痛烈なパンチ」(岡本吏郎氏)としてお読みください。
日本中のお金持ちに、「人生でもっとも影響を受けた本」を1冊だけ挙げてもらうとしたら、1950(昭和25)年に実業之日本社から出版された本多静六の『私の財産告白』が、トップクラスにランクインするはずです。
最近では、岡本吏郎氏の『お金の真実』(ダイヤモンド社)や土井英司氏の『成功読書術』(ゴマブックス)でも紹介され、時代や世代を超えて再び脚光を浴びつつあるこの古典的名著が、実業之日本社からオリジナルの形で復刊されました。
本多静六(1866-1952)は、林学が専門の東大教授でありながら、独自の蓄財法と人生哲学をもって、一代で巨額の財産を築くことに成功した人物です。この本の中で本多博士は、偽善者の仮面を脱ぎ捨て、「財産や金銭についての真実をぼんやりさせて処世の要訣を説こうとするなどは、およそ矛盾も甚だしい」として、お金の大切さと成功の秘訣を、包み隠さず告白しています。「4分の1天引貯金」や株式投資法は、単純ながらいまでも通用する蓄財の基本。「現代人に送る痛烈なパンチ」(岡本吏郎氏)としてお読みください。
内容(「BOOK」データベースより)
多くの成功者が読んでいた!伝説の億万長者が明かす財産と金銭の真実。
内容(「MARC」データベースより)
半世紀以上にわたって読み継がれ、多くの成功者に影響を与えた経済処世訓の名著。現代を生きる我々に、いまなお新鮮に響く、日本が生んだ最高の「お金持ち哲学」。解説は岡本吏郎。1950年刊の新装版。
著者について
1866(慶応2)年、埼玉県菖蒲町(当時は河原井村)生まれ。苦学の末、84(明治17)年に東京山林学校(のちの東京農科大学、現在の東大農学部)に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。
1892(明治25)年、東京農科大学の助教授となり、「4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。
1927(昭和2)年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。とりわけ、戦後の最晩年に実業之日本社から刊行した『私の財産告白』『私の生活流儀』『人生計画の立て方』の三部作は、当時ベストセラーとなって大きな反響を呼んだ。
1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。
1892(明治25)年、東京農科大学の助教授となり、「4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。
1927(昭和2)年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。とりわけ、戦後の最晩年に実業之日本社から刊行した『私の財産告白』『私の生活流儀』『人生計画の立て方』の三部作は、当時ベストセラーとなって大きな反響を呼んだ。
1952(昭和27)年1月、85歳で逝去。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
本多 静六
1866(慶応2)年、埼玉県菖蒲町(当時は河原井村)生まれ。苦学の末、84(明治17)年に東京山林学校(のちの東京農科大学、現在の東大農学部)に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。1892(明治25)年、東京農科大学の助教授となり、「4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。1927(昭和2)年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1866(慶応2)年、埼玉県菖蒲町(当時は河原井村)生まれ。苦学の末、84(明治17)年に東京山林学校(のちの東京農科大学、現在の東大農学部)に入学。一度は落第するも猛勉強して首席で卒業。その後、ドイツに私費留学してミュンヘン大学で国家経済学博士号を得る。1892(明治25)年、東京農科大学の助教授となり、「4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。1900年には教授に昇任し、研究生活のかたわら植林・造園・産業振興など多方面で活躍するだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築く。1927(昭和2)年の定年退官を期に、全財産を匿名で寄付。その後も「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作を残した。1952(昭和27)年1月、85歳で逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
帯より
不朽の名著、復刊。
「誰もがわかっている、誰もが知っているごく当たり前のことしか本多静六は語っていない。しかし、だからこそ、これが痛烈なパンチなのだ」(岡本吏郎氏)
「いまここに、長い過去をかえりみて、世の中には、余りにも多くの虚偽と欺瞞と御体裁が充ち満ちているのに驚かされる。
財産や金銭についての真実は、世渡りの真実を語るに必要欠くべからざるもので、最も大切なこの点をぼんやりさせておいて、いわゆる処世の要訣を説こうとするなぞは、およそ矛盾も甚だしい」(自序より)
「誰もがわかっている、誰もが知っているごく当たり前のことしか本多静六は語っていない。しかし、だからこそ、これが痛烈なパンチなのだ」(岡本吏郎氏)
「いまここに、長い過去をかえりみて、世の中には、余りにも多くの虚偽と欺瞞と御体裁が充ち満ちているのに驚かされる。
財産や金銭についての真実は、世渡りの真実を語るに必要欠くべからざるもので、最も大切なこの点をぼんやりさせておいて、いわゆる処世の要訣を説こうとするなぞは、およそ矛盾も甚だしい」(自序より)