辻井さんの語り口そのもののような文章で松本清張を語ってくれます。ですから、まず、読みやすく分かりやすいです。分かりやすさの一要因でないかと思えることに、何人かの作家と比較、対照させて論じることがあります。たとえば、「国民作家とは」について吉川英治、司馬遼太郎と比較します。三島由紀夫と対決させて清張の特徴を浮かび上がらせます。純文学と大衆文学の違いといった課題も、今や、そうした対比をこえた深みにおいてとらえるべきということも述べられます。こうした仕掛けで読者の理解を促す方法は、何よりも読者を念頭に置くべき実作者の視点なのかも知れません。
辻井さんは、清張とプロレタリア文学の関係を論じます。この点は興味深いのですが、最終的にやや不満が残りました。清張は何よりも差別された者、虐げられた者に暖かな視線を向けている点はその通りだと思うのです。その立場から、清張はこの本の副題にあるとおりタブーに挑むことに臆せず社会の問題に切り込んでいきます。しかし、プロレタリア文学の優れた作品のいくつかと決定的に違うのは、差別された者、虐げられた者が「団結」することがないのです。ですから、社会の悪を暴いても、その仕組みを明らかにしても、そこで呻吟する者の未来に向けた希望がなかなか見えてこないのです。そのことに対する辻井さんの見解は述べられていないのですが、それは無いものねだりでしょうか、素人の思い過ごしでしょうか。
辻井さん初の清張論ですから、次の機会までに、さらなる論点と整理体系化などが期待されると感じました。その分、実は、ざっくばらんで読みやすい結果になっているようにも思えるのですが・・・。