親しみやすい日常生活の中の言葉で綴られながら、生きることの根元を深く考えさせられる随想集である。
著者が出会い、ともに生きようとしている方々には、いつも共通している何かがある。松本サリン事件の冤罪と報道被害をのりこえた河野義行さん、日本語と韓国語(朝鮮語)という言葉の違いをやすやすと越える歌声をうみだす李政美(イヂョンミ)さん、失明というハンディキャップのなかで数々の美しい絵画を創作しているエムナマエさん…などなど、彼らはみな周囲や時代や境遇に押し流されず、自分の足でしっかり立とうとしている人たちである。そんな生き方を、著者は優しいまなざしで鮮やかに描き出す。
もともと本書の文章は、永平寺の発行する雑誌『傘松』に連載された「願生」という連載だった。偶然生まれてきた自分のいのちを、“自分で願ってこの世に生まれてきた”と考えることが、この仏教用語の意味するところである。この言葉が、本書で描かれた人々の日常世界の中から、ほのかに浮かび上がってくる。著者と本書の人々は、友人とか家族とか、自分の大切な人の“いのち”を愛おしいと思い続けており、それが自分の“いのち”に対して“願って生まれてきた”と思えることに、つながってきているのだろう。
そして“いのち”への感謝は、“いのち”を誕生させてくれた宇宙への感謝につながるのだ。本書の各章は、折々の自然の描写から始まっている。初冬から始まっているのも、著者が“自然との一体感”を感ずる冬の訪れが好きだという思いをもっているからである。ちょうど、本書が刊行された季節も、その初冬になった。季節の移ろいとともに、本書をゆっくり読み進めるのも面白いだろう。
難解な用語をあやつり、複雑な文章をつらねるだけが、哲学ではない。かつてモンテーニュが『エセー』を書いたように、平易な言葉のなかに人生の深い真理を見つめようとするいとなみもある。現代の日本において、朴慶南という作家の可能性は、そこにある。
一読をお薦めしたい。