東日本震災の後、関東に住むものとして原子力発電について考えない日はない。原子力発電の是非について考えることもさることながら、原発の是非について議論が議論として成立していないことに興味を覚えた。これは過去の経緯に原因があるのだろうと思いから日本における原子力の歴史を知るべく読んだ。
そうした動機にはまさにうってつけの本で、1945年8月6日以降、日本がどう原子力と向き合ってきたのかを、大まかに時系列的に、地方、政治、ゴジラやアトムなどの文化を含めてさまざまな視点から描いている。
筆者が「スイシン」、「ハンタイ」どちらにも与さないように細心の注意を払ったとあるように、非常に理性的に事実に基づきそのうえで筆者の意見をきちんと述べる形で論旨が展開されており、勉強になると同時に考えさせられる。
「原子力的日光の中でひなたぼっこしていた」という言葉に啓発されて本を書き始めたという筆者のひらめきと強い意欲によって、高い密度で戦後の60年間が描ききられている。
日本の戦後政治は、核エネルギー(原子力発電所と原子力爆弾の双方)の影響を除いては語れないものだということを改めて感じたし、それによって日本の抱えてきた多くの本質的な問題、たとえば地方と中央、産業構造の転換と弱者、といった現実が表出されてもいる。
詳細を要約するよりも、内容のすべてが等しく価値のある本なので興味があればぜひ通読をすべきタイプのノンフィクションだろう。
それでもあえてひとつ言うとすれば、福島第一原発の悲劇は明らかに人災だが、それはスイシン派によって起こされた過失というよりは、スイシンとハンタイ(これはイデオロギー対決の産物でもあるが)の双方の活動の結果双方にとって望ましくない結論に陥り、有事に対応できない状況が生まれていたということは、日本人が自ら恥ずべきこととして知っておくべきだろう。