久しぶりに小熊の著作を読んだ。読み始めると巻置くわずというところである。読後感は二点だ。
一点目。
98頁で「自分で当然だとしか思っていなかった社会の構造を問い直すこと、これが社会科学だと私は思います」とある。僕が読んできた著者の本を通底する考え方がここにある。
実際著者の歴史的な指摘に驚いたことは多い。「現在の憲法制定時期には社会党や共産党が反対していたこと」、もしくは戦前では「日本は多民族国家である」という言説が有ったことなどは、著者に教えられるまでは全く知らなかった。現在の常識ではいささか想像が出来ないと言ってもよい。そんな常識を崩してくれることが著者の著作を読む楽しみである。
かつ、かような歴史的な思いがけない事実はトリビアに終わるものではなく、それがどのように現在に繋がっているのかという展開を繰り広げてくれる腕力がある。
僕なりに一言で言うなら「自分自身の立ち位置と自分が生きている時代の相対化」ということだ。つい絶対化しがちな中で、相対化を行う知力と体力は常に大事なのだということを毎回思い知らされる。それが著者の著作を読む醍醐味である。
二点目。
本書で著者が戦後から現代までをわしづかみにして提示してくれる歴史観の説得力である。
著者は「ただ気になるのは、社会が拡散するなかで、全体を把握しようとする意識の希薄化」に懸念を表している。その裏返しが「わしづかみ」という著者の手つきに表れていると僕は考える。
著者は社会の中から色々な素材を選んでくる。本書で評される沖縄や格差社会も素材という形で提示される。著者は「沖縄を論じる」というよりは「沖縄という素材で日本を論じる」ということだ。その二つは似ていて非なるものだ。それは後書きで著者がはっきりと「私はそうしてとりくんだ個別の問題の専門家になる道を選ばなかった」と言っている通りである。
専門家にならないという道が「全体を把握しようとする意識」なのかどうかは著者に聞いてみないといけないとは思うが、僕は、基本的にはそうではないかと解している。
「例えばアニメ作品の細部から社会を論じてしまうようなものは、私個人として説得力をあまり感じられません」という言葉には僕も大きく頷いた次第だが、同じことを言っているのではないか。
ということで非常に刺激的な読書になった。