「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の事務局長だった蓮池透は、東京電力の社員であった。2009年6月に退職するまで32年間の東電人生であった。
蓮池は、新潟県柏崎市に生まれ、地元の高校を卒業し、東京の東京理科大学電気工学科に進み、電磁波の勉強をしていた。生まれ育った柏崎には、柏崎刈羽原発がつくられようとしており、高校の物理の教師が原発建設の反対の急先鋒として活動していた。従って、蓮池は、原発に対して良いイメージを持っていなかった。しかし、大学4年になり、就職活動を始めたが、就職氷河期だったため、希望のレコード会社には全部落ちてしまい、父親の薦めで、本当は「行きたくないのに」受けた東京電力から難なく内定を得て、就職が決まってしまった。
東京電力の社員となった蓮池は、今回の事故の現場となった福島第一原発に二度勤務の経験があった。
その経験をもとに、東京電力という会社は、どういう会社か、今回の福島第一原発事故とは何か、また、原子力発電は今後どうすべきか、について書かれたのが本書である。
蓮池によると、具体的は次のように述べられる。
東京電力の原子力部門は、ほかの部門では部門間の人事交流があるが、内部でのローテーション人事が行われており、他部門との交流がない。
”東電社員はみな安全神話を信じていた”かという質問については、そうだ、と答えるしかない。
東京電力には、独占企業としての奢りの体質があり、「殿様商売」であり、あるいは「お客さま商売」だという認識がない。
東電内部では原発の是非について発言する人はいない。「出る杭は打たれる」ではなく、出る系がないような会社社会です。
以上のような内部事情を明かしている。
また、今回の福島第一原発事故について、「東電の隠蔽体質」、「東電けしからん」と主にマスメディアを通じて、東電バッシングが起きていることについて、バッシングで留飲を下げても仕方がない、つまり、反対派、推進派が。今後の日本のエネルギー政策をどうしていくのかを分け隔てなく、議論する機会が与えられた、ということだ、という。東電だからあの事故が起きたとは言えない、日本の電力会社の体質は似たり寄ったりだから、という。
そして、最後の第三章で、今後の原発は、いずれ自滅する、あるいはフェイドアウト(徐々に終わらせる)しかない、という。
これは、発電と核燃料サイクルの両方の仕事に携わった蓮池によるとても説得力のある発言である、と思う。
蓮池は、2年前に東電を早期退職しており、東電とは一切関係を持っていない。だから、上記のような率直な発言が
述べられるのであろう。それに対して、東電の関連会社に転籍した元の同僚からは、今回の福島第一原発事故の後始末に関する仕事をやらされるかもしれない、というようなメールが飛び交っている、という。
なお、この本の最後で、多くの国際紛争地域で、「紛争屋」として活躍して来た東京外国大学教授の伊勢崎賢治との対談が収録されている。題して「拉致と戦争と原発を結ぶもの」。
ただ、私は、この対談を読んでいて、拉致と戦争と原発は、同列に論じられるものだろうか、という疑問が拭えなかった。「拉致」は、北朝鮮による日本人その他の拉致である。「戦争」は、原子力(核)の戦争利用である。原発は、原子力の平和利用である。原子力の平和利用は、確かに、特定官庁、特定企業、特定地域の利権などが絡んではいるが、元来、悪意のようなものとは、関係なく、推進されてきたものであり、それと、「拉致」、「戦争」と並べて論じるのは、少し違うはないか、と考えてしまう。たぶん、ここは、議論が大きく分かれるところだろう。私には、これ以上、この問題を論じられる能力がないので、これ以上の深入りはしない(出来ない)。
さて、最後の最後ではあるが、この本のタイトルは、『私が愛した東京電力』である。蓮池本人は、どう思われているか知らないが、とてもとても、恥ずかしいタイトルである。