当年取って三十六歳の西国の大守、毛利輝元の初上洛の出立から帰国までを記した、「毛利輝元上洛日記」を読み解く一冊。
原文は全編ほぼ
「某月某日、殿様○○刻△△に〜〜なされ候」
という形式で書いてある(殿様=輝元)ようですが、この「殿様」という呼称がこの記録全体から浮かび上がってくる輝元像にぴったりなのです。
毛利輝元というと祖父元就に危ぶまれたり、両川を始めとする叔父たちの頭痛の種だったり、関ヶ原で敗軍の大将となって減封されたりと暗愚なイメージがあります。しかし、ここに書かれている「殿様」輝元公は、厳島神社で精進潔斎して船旅の安全祈願をしたり、お父さんの月命日には御精進したり、ほぼ毎食接待ご飯ですが特に羽目を外したような形跡もなく、お行儀の良いお坊っちゃんぶり(既に良い歳だったはずですが…)です。前日夜遅くまで宴会でも翌朝の朝茶会にちゃんと出席し、秀吉の要請のままに一日三回もその都度着替えて登城するなど、律儀で付き合いが良く、また御礼や献上品もきっちり弾む気前の良さ。大毛利の一粒種として両川を初めとする家臣団皆に大切にかしずかれてきたことを伺わせる品の良さと鷹揚さ、素直さが偲ばれ、貪婪な成り上がり者の多い秀吉政権では良い意味で異色な存在として、一目置かれていたのではないかと思いました。ただ、ちょっとはしゃぎすぎな感じも漂っていて、その鷹揚さと素直さが諸刃の刃となって減封に繋がったのかなと思います(少なくともお酒が好きそうです)。
大名が世襲制となった江戸時代以降の「殿様」像を、既に桃山時代において板に着けている輝元公に、とても好感を持った一冊でした。