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たとえば夏目漱石の諸作品には、まだ封建制を引きずり旧態依然の「近代日本」の中で、近代的自我を持った(「開眼」し、いわばトンデル)人間が持つ厭世感や苦しみが表現されています。(「それから」然り。「野分」然りです。)日記などを読みますと、当の漱石自身もそれが遠因で胃潰瘍で苦しんだように見受けられます。森鴎外もドイツから帰国して見た日本社会を近代化への発展途上段階にある「普請中」と表現しています。そこにもやはり厭世感が漂っているように思います。
ところがです。福翁自伝を読みますとそうした厭世感が感じられません。
諭吉が、近世日本にとっては根っからのアウトサイダーであったことがその理由ではなかろうかと、自伝を読んで思います。近代人諭吉は、渡欧・渡米するまでもなく「近世日本」が大手術を要する病人であることを元来感じていたので、帰国してもどうってことはなかったのでしょう。行うべきことは明確でした「啓蒙」その一語です。
初めて著作を読んだのですが、なんと「骨太」な人物だろうと思います。やはり壱萬円札に肖像が出るだけのことはある、と思いました。
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