この全集はいつが全部読破してやろうと思っている。
『気骨の人』と見るか、『反動保守の危険人物』と見るか。この人をめぐる議論は未だに毀誉褒貶相伴している。沖縄基地問題や対中政策、子供手当やらで迷走しまくる鳩山内閣の現在の有様を見ていると、福田恒存だったらこれをどう思うかと考えることがある。書かれた当初から現在を見れば相当時代も状況も変わってしまっているが、それでも彼の言葉には今の時代にそのままあてはめても通用する言葉が多くある。恐らく緻密な理論家だったのだろう。丁寧だが辛辣で容赦なく厳しい言葉で綴られている。伝統・文化の大切さを説きながらも、ここまで合理的な理論家である人はなかなかいないのではないだろうか。
旧仮名遣いなので読みとおすのに苦戦したが、やはり現代仮名遣いと当用漢字に真っ向から喧嘩を売った御仁の思想をそのまま感じるには、やはり旧仮名遣いで読むべきだろう。本書の中で福田は『平和』という抽象概念にうつつを抜かす『平和論者』と滅多切りにする。その単調な思考パターンとどこまでも広がってゆく国境を越えた世界レベルの余計なお節介に、現実を見失って、何もかもをすっ飛ばして、地球レベルに問題を持っていく論法に、福田自身は我慢がならなかったようである。平和とは単に争いがないという状態、互いの利害が衝突していないある種の均衡点でしかない。そこには崇高な理念や思想などない。人は守るものがあるから衝突するのだ。それが日本人には今一理解が出来ていない、なぜなら、欧米と違い、日本では個人という概念の確立がなされてこなかったからであるという。現在の鳩山政権が掲げる『友愛政治』。グローバルレベルに持ち上げられた環境問題。福田に言わせればきっと鳩山も政治家でありながら『個』を確立できなかった、典型的日本人ということになるのだろう。戦前のことはよく知らないが、いざとなった時に烏合の衆と化してしまうのは恐らくこれも日本の伝統文化なのかもしれない。終戦を巡る昭和天皇のご聖断なども、その一例かもしれない。アメリカをどう見るか。中国をどう見るか。その前にきちんと自分自身を確立しなければ、相手のことなど分かるわけがない。混迷を深める日本を取り巻く状況の中で、我々日本人がどう生きていくか。それはやはり己を知り、己を確立することが問題を解くスタート地点であるのかもしれない。己の軸で相手を見ることこそが、鳩山だけでなく、我々日本人に求められていることなのだろう。今の時代だからこそ、福田恒存の言葉に耳を傾けて見ることも無駄ではないはずであると思う。