教育再生だとか、親学だとかかしましいなか、真実のそして奇跡的な「教育」とはいかなるものかをしらしめる一冊。開国、維新という激動の時代のまさに国を支えた「教育」を拝めます。
教師がただ一方的に生徒に教示するものが教育ではなく、教師もまた生徒とともに教育されていく、その姿に生徒も…という相互作用が働く場が教育だということ。生徒は教師の後姿をみて理想の大人像を描いていく、その期待を裏切らないことが求められる(それは単なる知識の伝達などではない人品の問題として)。
今日ある慶応が維新後数多く出来た私塾が教頭の死とともに解散、あるいは瓦解していった荒波を超えることができたのはまさにそのような関係性の中に秘密があったことを、数々のエピソードを連ねることで伝えてくれる。またあわせて、開国からの日本の教育行政の歩みをも知ることができる。
教育が成果をあげるとは、知識の伝達は言うに及ばずとしてもそれに加えて、姿勢というべきものを伝えられるかどうかということが「慶応山脈」と証する錚々たる福沢門戸の人脈にみてとれます。