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禅とは何かはさておき、日本文化はことごとく禅の影響下にあるかのごとく語られるのは何故かという点を、弓術と石庭を例にとって解明しようとする書である。
禅といえば坐禅だが、それに対して弓道は立禅と呼ばれる。まさに禅の思想にどっぷり浸かった武道であるというのが現在の弓道家の常識である。
また、京都龍安寺の石庭は一木一草もない白砂の上にゴロゴロと岩石を配置しただけだが、見る人によっては禅の公案のようでもあり、その美しさに深く感動するとも言われる。
一体いつからこう信じられてきたのだろうか。
人には他人から良く見られたいという欲求がある。しかし、自分の姿は鏡に映さなければ見ることはできない。我々は、他人から見た自分の長所(たとえそれが誤解でも)に自分を一致させようとしているのではないか。
自身の弓術修行体験を出版したドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルと、禅を英語で巧みに語る居士鈴木大拙。武術から武道、弓術から弓道へ。欧米の禅ブーム。情報は伝達される過程でどのように改変されるのか。著者は情報学の立場から薄紙を剥ぐように謎に迫る。
著者は触れていないが、キリスト教徒である新渡戸稲造が英語で書いた「武士道」が逆輸入され、我が国における武士道観を改変してしまったのではないかという研究にも通ずるものがある。
現代武道に疑問を感じている方、古武術に興味のある方にも一読をお勧めする。
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