あまりの面白さに、読み終えるのが惜しくなり、意図的に遅読している。
対馬要塞を守る砲兵部隊に配属された主人公の東堂二等兵。驚異的な記憶力を駆使して、軍隊という日常が極度に制約された場所で、知力を発揮する。物語は、その山場にさしかかっている。
軍隊に身を投じることで、己を終わりにしたい。そういう動機で入隊したはずなのに、東堂二等兵が、この極めて不自由な空間と時間の制約の中で、いきいきと個性を発揮している痛快を、この4巻目で味わうことができる。
人間の思考の自由を再現したかのような、東堂の記憶再生の旅もまた楽しい。本筋を追っているかと思えば、過去に読んだ書籍、過去に思い描いた記憶、とめどなく連なっている、筆者の博識にも導かれて、まるで智の山脈を歩いているようだ。
遅く読むにも限度があるので、別の本に寄り道してでも、この世界とともに、少しでも長く過ごしていたい。そういう気持ちにさえなっている。読んでいる時も、読まないでいるときも、この本が描く世界とともに過ごせる幸せ。そういう体験を味わっている。幸福である。
東堂二等兵。彼は戦争にも、軍隊にも積極的に加担するつもりはない。
それは、そうなのだが、軍隊という「神聖なくだらなさ」で満ちているはずのその場所。そう思いながら、東堂二等兵が惹かれてゆく、38式野砲への美意識。教練する、彼の存在そのものを心ひそかに認め、同僚にも悟られない心の中で、心酔してしまう東堂。大前田軍曹の美しいとも思える野砲操作。そういう心情を告白するくだりでは、今はもう、永遠に失われた時間のことを、東堂二等兵と同じように回想し、理不尽な日常の中にさえ、美を感じる時間があるのだと、強く共感する。
東堂二等兵の大前田軍曹に対する撞着は、いつか伝わることが、あるいは、同僚の誰かが見抜くことがあるのだろうか。
38式野砲の2番砲手として躍動する教官・大前田軍曹の所作に美を感じてみたい。読者たる私は、文字による再現でしか味わうことができないだけに、おそらくは、それを現実に視認した著者を、羨ましく思うのだった。