北京原人の発見の話だと思って読み始めたら、ティヤール・ド・シャルダンの話でびっくり。かれが北京原人にここまで関わっていたとは知らなかった。
シャルダンは異端の神学者として知られ、主著「
現象としての人間」は、おもしろい本ではある。鉱物圏、植物圏、動物圏、精神圏(ノウアスフィア、ヌースフェル)といった宇宙の階層概念や、生物の到達点たるオメガポイントといった概念はかっこいいし、いろんなSFのネタもとだ。ただいかんせん証明しようがない、誇大妄想的なお話なので、一般には単なるニューエージオカルトがかった変な哲学者と思われている。
そのシャルダン神父が、思想をめぐって教会と対立して地の果て中国にとばされ、そこで北京原人の発見に関わることで、進化論への認識を深める様子を本書は描く。そしてそれが主著「現象としての人間」につながったのだ、と。当時の原人ブームの中での北京原人発見ドラマと、宗教対科学の対立ドラマとをからめる筆致は巧み。
ただしティヤールを、宗教と科学の橋渡しをする立派な学者兼えらい宗教人として描こうとするため、その思想の特徴、もとい奇矯さ・異様さについてはごく簡単にしか触れられない。そしてかれが教会に迫害されたのは、単に進化論に好意的だったからだ、という印象操作を本書は行っている。でも実際には、宇宙全体の進化とか、人間が進化してオメガポイントに到達して神になるとか、とうていキリスト教の範疇に収まらない勝手なオカルトを主張したから怒られたというのが実情。だから北京原人との関わりがティヤール思想の形成に重要だったという本書の記述は必ずしも妥当とは思えず、それをごまかすため散漫な印象になっているのが残念。そして、ティヤールの中で進化論とキリスト教が同居できたから進化論は永続的なものだと示されたのだいう、アクゼルらしからぬ理屈になってないこじつけの結論は鼻白む。その程度の折り合いをつけた人なら他にも無数にいるのに。
また佐野真一による解説は、意味もなく本文に書かれたティヤールの生い立ちを繰り返す無内容きわまる代物。解説ではなくただの読書感想文で、やたらに段落を変えるぶつ切り(口述筆記そのままの感じ)が散漫ぶりに拍車をかけている、残念な代物。