内容紹介
作家自らが綴ったヒューマン・ドキュメント「永沢光雄」!亡くなる直前まで「産経新聞」に掲載され、大変注目された「生病老死」には、下咽喉頭癌の手術で声を失った後の苦闘と、生きることと書くことへの執念が、時に激しく、時に淡々と書き継がれています。
小学校から予備校時代に書いた作文、手紙、短編の類を集めた「遠い足あと」には、のちに『AV女優』や『風俗の人たち』のようなすぐれたノンフィクションを世に送り出した永沢氏の才能がうかがえて注目されます。母・昌子さんが永沢氏の死を現実のものとして受け止めるために書き綴ったエッセイや日記「光雄の思い出」には、わが子を信じ、愛し続けた親の思いが溢れていて涙をさそいます。出会いから今日までの思いを書き記した妻・恵さんの≪私たち夫婦は楽しみながら、苦しみながら酒を飲んできました。(中略)私もあえて反対はしませんでした。それは永沢の決めた人生だから。(中略)永沢はお酒で死にましたが、だからこそ最後まで好きな原稿を書き続けることができたのだと思います。永沢との十四年、本当井楽しかった。(あとがき)≫は、永沢氏の充実した半生を誇らかに語り上げていて感動的です。
小学校から予備校時代に書いた作文、手紙、短編の類を集めた「遠い足あと」には、のちに『AV女優』や『風俗の人たち』のようなすぐれたノンフィクションを世に送り出した永沢氏の才能がうかがえて注目されます。母・昌子さんが永沢氏の死を現実のものとして受け止めるために書き綴ったエッセイや日記「光雄の思い出」には、わが子を信じ、愛し続けた親の思いが溢れていて涙をさそいます。出会いから今日までの思いを書き記した妻・恵さんの≪私たち夫婦は楽しみながら、苦しみながら酒を飲んできました。(中略)私もあえて反対はしませんでした。それは永沢の決めた人生だから。(中略)永沢はお酒で死にましたが、だからこそ最後まで好きな原稿を書き続けることができたのだと思います。永沢との十四年、本当井楽しかった。(あとがき)≫は、永沢氏の充実した半生を誇らかに語り上げていて感動的です。
内容(「BOOK」データベースより)
力作『AV女優』を上梓して10年―永沢光雄は突然襲ってきた病魔に声を失うという逆境の中で、生きている証を求めて、その「心」を吐露しつづけた。絶筆…『生老病死』。小学校から予備校時代の作文、手紙、短編などを併録。残された母と妻が綴る、永沢氏の思い出と哀しみ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
永沢 光雄
昭和34年(1959年)7月14日、仙台市に生まれる。大阪芸術大学中退。風俗雑誌の編集者を経てフリーライターとなり、風俗、スポーツを中心に執筆活動を始める。平成8年、雑誌に連載していたAV女優のインタビューをまとめた「AV女優」の出版によってその存在を知られる。14年に下喉頭癌のため声帯を切除。17年に闘病生活を綴った随筆「声をなくして」を出版。同年7月から産経新聞に随筆「生老病死」の連載を始めるが、18年11月1日、肝機能不全のために死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
昭和34年(1959年)7月14日、仙台市に生まれる。大阪芸術大学中退。風俗雑誌の編集者を経てフリーライターとなり、風俗、スポーツを中心に執筆活動を始める。平成8年、雑誌に連載していたAV女優のインタビューをまとめた「AV女優」の出版によってその存在を知られる。14年に下喉頭癌のため声帯を切除。17年に闘病生活を綴った随筆「声をなくして」を出版。同年7月から産経新聞に随筆「生老病死」の連載を始めるが、18年11月1日、肝機能不全のために死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)