『天国篇』は『地獄篇』『煉獄篇』とは趣が非常に違う。まず、天国といっても、地球を出発して、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星と宇宙旅行をするのである。そして、さらに外側の恒星天を越えて、その先に「至高天」なるものがあり、そこに聖母マリア、アダム、イヴ、ペテロ、アウグスティヌスなどがいる。プトレマイオスの天動説モデルに、聖書の神話を接ぎ木した奇妙な混合物といえる。選ばれた「聖人」やそのランク付けもかなり恣意的だ。「ビュリダンのロバ」の話も出てくる自由意志論など、神学的な議論が中心だが、ダンテもなかなか苦労している。天国では、肉体を持たない魂だけが存在することになっているので、登場人物は「光明=炎」と呼ばれる光の塊りになっている。だが、それでは姿かたちがはっきりしないので、聖なる魂たちは、「私は、・・・だ」と名乗ったり、「慈愛に満ちた眼差し」「清らかな瞳」「美しい声音」「愛に輝く」などと抽象的に描かれる。とりわけ面白いのは、肉体を持たない魂たちは、肉体の具体的な形態を見たいという願いをもっていることだ。「彼らの<アーメン>という声の中には、死んだ体をいま一度見たいという願いが強く現れていた」(第14歌、p184)。またダンテは、キリスト以前の人々はそもそもキリスト教徒たりえないのだから、どんな善人も自動的に天国から締め出されるのは不公平だという疑問をもっていた(p259)。だがこの疑問は、結局は明確に答えられない。平川訳は、最後の祈りの詩を上田敏訳を転用するなど、工夫がこらされている。