著者の後藤昌次郎弁護士は、松川事件などいくつもの冤罪事件を担当してきた大物弁護士。その後藤弁護士が、神戸で1997年に起きた酒鬼薔薇事件の犯人がA少年とされたのは、冤罪であると声を大にして主張しています。私は神戸に住んでいますからよく覚えていますが、確かにA少年が捕まるまでは、犯人像は全く別でした。ところが14歳の少年の逮捕という衝撃のあと、それに対する疑いの声はほとんど聞こえなくなりました。いくらなんでも警察がいい加減な根拠で少年を逮捕するわけがない、と皆、信じてしまったわけです。しかし本当に明白な証拠があったのでしょうか。後藤弁護士が言うように、物証はなにひとつなく(むしろ筆跡鑑定の結果は否定的)、自白しかなく、それも警官がだまして誘導した自白しかありませんでした。家庭裁判所ですら、警察官の偽計によるその自白は証拠とは認めなかったのです。調書も矛盾だらけ。つまり、もし被疑者が成人で、裁判になったとしたら、有罪にはできなかったと考えられるのです。にもかかわらず、なぜA少年が犯人とされたのでしょうか? 気になるでしょう。あとはぜひこの本をお読みください。後藤弁護士の主張は大変説得力があります。それにしても、日本の裁判史には自白のみに基づく冤罪が本当に多いですね。今日、再審開始が高裁によって支持された戦時中の横浜事件も冤罪のようです。裁判制度が変わろうとしている今、他人を裁く立場に立つかもしれない私たちも、こうした本を読んで、冤罪の可能性について考えるべきでしょう。