刮目すべきことなど(翻訳)
「それ」について。
不可知の領域(相対知によって捉えることは出来ない)=絶対無=絶対主体性=見るもの(主体)・見られるもの(客体)・見る行為が同一で分離していない=一なること=それ自身を見る眼=一致によって知るという単純な知り方。人間を除いた万物がこれによって自身を知る。誕生その他人生のどんな事柄もこの最後の厳粛な現実に比べれば影が薄くここで初めて本当に生まれるといっていい。
そして、「知」より「情意」が先に生まれ(無明=生きる盲目の意志=初一念=意識=私秘性=心)、内省により(第二念)客体化され「知」が生まれる。
意識が脱落したとき外界は残っている。一なる微笑・寂として。
感情、知・記憶は。
念は継続しない。(刹那生滅)
脱落後は、現在の瞬間に生きることしか出来ない。過去や未来を顧慮することがない。外に現れたものは絶えず変化して滅び去るが現れないものは常に不変のまま外に現れている。
その時、情意の働きは全く失われている。善いも悪いも。当然、知・記憶も。但し、無自己の生(寂)がある=所有感を欠いた肉体的活力。考えたり、感じたりする必要もない(刹那生滅)。これは、体験するしかない。
「他人」はどう見えるか。
考えや、行いや、苦しみが見えるだけである。「自己」がないので「他人」もない。「多」は「一なること」の背後に退いてしまっている。
「自己」とは。
「自己」は個別性のために必要なものではない。「自己」を失ったあとも「多」としての独自性は残る。「自己」は人生のある時期に現れその役割を果たすがいつか解体して無に帰す。しかし、「生」の流れそのものは続いている。(不生不滅)
西洋心理学は自己のみを対象とする。つまり、単に表面を引っ掻いているだけである。
訳者は腑に落ちるという解りかたをしていない。ために星三つ。それ故に前著<自己喪失の体験>を最初に読むべきである。この訳は絶品と言えるものである。