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51 人中、47人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
人間の意識の発生とは,
By 遊女・asome (東京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡 (単行本)
非常に興味深い、そして、最高に面白い本でした。人間の意識の歴史を考古学見地、そして人類学的見地から分析し、大胆で、しかも確信に満ちた仮説をもとに研究され、書かれた本なのです。 人間の意識は3000年ぐらい前から現在の意識となったということなんですね。なんとその前までは人間は、神の声を右脳で聞き、その通りに動く自動人間だったというのです。その証拠に最古の文学「イーリアス」と「オデッセウス」を比較し、使われている言葉の意味を検証しています。そして、太古の人間は神々と一体となり、自分を意識することなく、神の声をそのままきいていたのですね。 そして、その後、意識の発生とともに、徐々に人間には、神の声は聞こえなくなってきてしまうのです。様々な文化の遺跡に残された証拠をあげ、徐々に神々の声が聞こえなくなってくるプロセスを論じてくれます。 神の声が徐々に聞こえなくなると同時期に、人間の意識は発達し、比喩によって自分たちの心の空間が現れ、物語化して自分を客観的に見ることができてきたと言うのです。しかし、本来人は神の声を聞く存在だったので、一部の人たちは、その名残としての分裂症があるということなのです。分裂症状のおこる人たちは、現在でも神々の声が聞こえている人たちではないかと。 長い本ですが、非常に面白く、神と人間の関係性を歴史的に説いてくれます。 とても納得のできるお話で、仮説といえども、これは事実はそうだったのではないかと感じられる十分説得力のある研究なのです。 ぜひともこの先が読みたいと思いましたが、残念ながら、この先生はこの本を書き上げられ、その後の研究発表の前に亡くなっています。とっても残念です。しかし様々な方々に影響を与え、今、脳の科学の最先端で意識の研究が続けられています。 人間の意識や脳の働きの研究で、この先、どんどんと人間の歴史は解明されるであろうと言われていますが、非常に興味深いですね。この不思議な、心や魂の問題に、科学はどのように迫っていくのでしょう! ぜひ次には「イーリアス」を読んでみたいと思います。
40 人中、36人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
旅路の果てに見た世界,
By mitsumata (東京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡 (単行本)
異色の一冊である。動物行動学から出発して意識の根源を探った著者は そのいわば旅路の果てに見た世界を世に問うたともいえる本書で、 「意識」が登場しない「イーリアス」などの 一見無関係なさまざまな破片がくみ上げられ、 トンデモ本というのは簡単だが、私はむしろ納得することの 意識からもう一度自由になってみよう。
20 人中、17人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
壮大な、あまりに壮大な、おそらくは検証不可能だが魅力的な仮説,
By
レビュー対象商品: 神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡 (単行本)
原題はThe Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind。邦題には工夫を感じるものの、原題の方がストレートに内容を伝えている。the Bicameral Mindは「二分心」と訳されているが、まずcameraが語源的には「部屋」であり、bicameralの「二院制の」という語義に留意すれば、訳語としてやや物足りない。「二院制」は上院・下院のように、ある種の序列を連想させるが、まさに著者が述べているのもそういうこと。2つのcameraとは右脳・左脳のことで、右脳こそがかつて「神々の言葉の座」であった。そしてこの「二院制の心」の崩壊こそが、意識が生成する条件であった、と。 著者は、この崩壊の原因を、前2000年紀のメソポタミアからエーゲ海一帯に起こった諸民族の交流や移動、衝突に求めている。「相違を観察することが意識のアナログの空間の起源になるかもしれない」「私たちはまず、他人が意識を持っていることを無意識に想定し、その後それを一般化することで自分自身の意識の存在を推量しうる」(p259〜)、と。そして著者は文明の黎明期以来のさまざまな史料を、驚異的なまでの学識を動員して分析し、この崩壊と生成のプロセスを描き出していく。 もちろん、それらはほとんど状況証拠に留まる。検証の望みのない仮説の山とさえ言える。インドや中国については、どういう見通しを持っているのかも不明。76年の原著刊行という時代的制約の故か、脳の可塑性について楽観的過ぎるようにも感じる。それでも私は、この本の議論に大きな魅力を感じている。 ついでながら本書を読んでいる途中で、私はポール・ヴェーヌ『ギリシア人は神話を信じたか』(邦訳85年)を入手した。未読ながら、おそらくはフーコー流のエピステーメ論だと見込んでいる。読み比べてみたいと思っている。
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