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神、人を喰う―人身御供の民俗学
 
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神、人を喰う―人身御供の民俗学 [単行本]

六車 由実
5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

商品の説明

第25回(2003年) サントリー学芸賞・思想・歴史部門受賞

内容紹介

人身御供も祭りや伝承は私たちの先祖の生活と心象について何を語るか。世界各地に存在した食人風習とどう関わるか。民俗学や考古学が封印してきた人身御供譚の始原にひそむ暴力=「血なまぐさいもの」を私たちの歴史のリアルとして読み直す。

登録情報

  • 単行本: 273ページ
  • 出版社: 新曜社 (2003/3/30)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4788508427
  • ISBN-13: 978-4788508422
  • 発売日: 2003/3/30
  • 商品の寸法: 19 x 13.4 x 2.4 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (6件のカスタマーレビュー)
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形式:単行本
 本屋でブラブラしていてタイトル買いした1冊。
 博士論文をもとにした学術論文なので読みやすい文章ではありませんが、内容的には、シロウトにもついてゆけるものになっています。(私は、民俗学に興味はあるだけのまったくのシロウトです)

 「人身御供」に対し、章ごとにフォーカスの仕方を変え、一つ一つ確かめながら進んでゆく印象です。よって、若干の重複感とはしょりを感じるところはありますが、俎上に乗せにくいテーマを、慎重に、堅実に論じているのでしょう。各章の構造は以下のようになっています。

 序章で、「人身御供」というものに対する民俗学のスタンスと、著者の本書での立場・狙いを示し、第1章で、尾張大国霊神社の追儺祭を事例に、近世の祭の様相とその変容の過程を検討することで、「祭」と「人身御供」の関係を語る一つのモデルを提示している。
 2章以降で、1章を基としてそこで語りきれなかった問題を、他事例をさまざま取り上げながら展開する。
 2章では、由来に人身御供の語りを持つ祭(それを「人身御供祭祀」と著者は言う)を担う村人達本人が、そのおぞましい物語を受容し語っていくのはどういうことかという問題を取り上げる。同時に、「人柱」と「人身御供」とを区別し、”神の食べ物”としての人身御供の意味―すなわち祭における「性」と「食(食べるということ)」を取り上げる。
 3章では、岩手県・葛の諏訪神社の伝承を中心に、人から獣へ、そして魚へと変化する”贄”の変遷の過程を追いながら、殺生を罪業とする仏教的観念の関係と、祭の由来に人身御供の物語が必要とされるのは何故なのかを検討する。
 4章は、近畿地方に多い「人形御供」(ひとがたごく。人身御供の代わりに人形を供える)の祭のもつ二つの問題を取り上げ、農耕社会にも殺生を伴う祭が必要であり、人形御供の祭が共同体の秩序更新を願ったものではないかと述べる。(二つの問題とは、1食べ物で人間の形を象って神に捧げる意味、2神前に捧げた人形は神の食べ物であると同時に直会の際には氏子、つまり人間が食べるという問題)
 終章において、再度「人柱」「人身御供」「イケニエ」を区別しながらこれまでの議論を点検し、総括する。儀礼のなかで暴力性を排除してきた一方で、喰われることで神と一体化し、希薄化した生の実感を呼び覚まそうと願うことが、人身御供の物語が伝承されてきた理由ではないか、というのが本書におけるひとまずの結論である。

 本書には「暴力の排除」が全体に通底しており、先達のさまざまな仕事が引かれています。民俗学において「暴力とその排除」が定番のテーマなのかどうかわかりませんが、「人身御供」を語るにおいて、切り口がそこだけなのかはいささか疑問を感じるところ。
 祭における性の問題や、喰われる恍惚のついてなど若干触れられていますが、もっと違う面にも光を当てて欲しいと感じました。著者のこれからの仕事に期待して待ちたいと思います。

 最後に個人的感想。
 供儀や生贄についてのアカデミズムの体たらく―当り障りのない題材に仕立て上げる「毒抜き論」という著者の見方と、暴力性を排除してゆく祭の変容がオーバーラップして見えました。私は小学生の頃から、ここ、東京近郊のベッドタウンに住んでいますが、これといった祭もなく、土地の伝来も知りません。先祖伝来の土地との縁、土地の神との縁が切れ、神との関係が毒抜きされきった現代では、神に捧げる暴力のかわりに、意味不明な暴力や神を騙る暴力が溢れているように見えます。今後、それを毒抜きしていく力は働くのでしょうか。また、現代に喰われてしまった神(怖れ奉られる神)はどうなってしまったのでしょうか。現代社会の民俗学が気になってきてしまいました。

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17 人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:単行本
 本書を読んだ印象では、人身御供研究というよりは、むしろ人身御供論批判の書、という趣だ。

 氏が深く関心を寄せているのは、人々が人身御供(伝承)をどう感じていたか、にある。人身御供とは、祭の過程で人間を殺し、それを神の食べ物として、神前に供えることを指す。そうした祭に潜む「暴力」もしくは「毒」を感じたとき、人は何を考えるのか。

 重要なことが1つ。この世には神が存在しない。では、神前に供えられたモノを食べるのは、一体誰か…? それは通常、祭を行う側の人間だ。したがって人身御供の場合もそれと同じであるはずだ。つまり、人が人を喰らう、それが人身御供の本質なのである。

 著者は柳田國男がそのことに気づいており、それでいて関心を別の方向にずらしていったと述べた上で、そうなったのは柳田が人身御供に潜む強烈な「毒」から目をそらしたからで、結果として「毒抜き」論になってしまったと指摘する。著者はこのような「毒抜き」は、実際に祭を行う側にも起こったと考えており、各地の祭にそれを追っていき(暴力の演技化、穢れの忌避)、その「毒抜き」こそが人々に人身御供伝承を受容させたのだと論証する。

 他にもいくつか注目すべきことがある。普通、人身御供にされるのは女性とされる。そこで若干、女性史の様相を帯びてくる。また人身御供と人柱との間に明確な差があることを示すなど、大変興味深い1冊。ただ中盤から後半にかけてちょっと退屈な気も。そこは学術書なので我慢すべし。

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6 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By ゆういち VINE™ メンバー
形式:単行本
私は不謹慎ながら、もう少しキワモノな内容を期待して
おりましたが、まともな学術書でした。

本書は各地方の神様(蛇だったりヒヒだったり)が人の
生贄を求めていたという伝承が多いのは何故か?
という切り口で主に現在の祭りとその昔の姿の伝承を比較
しております。

著者は、この手の研究だと「本当に人の生贄をささげていた
事などありえない」という説に持っていこうとするあまり、
研究者の主観が入りすぎるのは研究としてはマズイだろう、
と冒頭で断ってから、論じていきます。

しかし、実際に昔、祭りで何をしていたかは正直、分からない
というのが結論に思えました。
著者の説は、大きく2つで、

1、よく言う“人柱”と“生贄=人身御供”は別物(別の意義)
 建築上のマジナイと神様の食物として捧げているのは意味が違う。

2、人身御供は、動物御供(?)の後ろめたさを和らげるための作り話。
 祭りの起源の説話に、神への供え物が人身御供→動物(または穀物)
 に代わった話が多い。
 それは、現在、神への供え物として、動物を捧げている。
 その事は、倫理的には後ろめたくなってきた。(肉食が)
 なので、「今、動物を捧げているが、昔は人だった。それに比べれば、
 今は、ましになった、」という論法。

よって、食人(カニバリズム)があったか?というようなキワモノな話
には、結局ならない。残念‥
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