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教育を建て直すこと以外に、今この国を建て直すことは無理である。その中核にある国語の時間をなぜこれほどまでけずって平然としていられるのか。これが著者の主張。「国家の浮沈は小学校の国語にかかっている」。それなのに教科を平等にわりふる悪平等を平然と犯しているのは、国語を単に情報伝達の道具としか考えていないからだ。どれもこれも説得力がある。数学者の立場からすれば、円周率3などというのは犯罪的。「数学の魅力である一般性や意外さ、豊かさ、美しさを根こそぎにしてしまった」。
この熱血漢をぜひ文部大臣にしてみたい。しかしそういう知性や決断のある政治家がいまの日本にいるだろうか。いや、こういう人こそ野において、自由に発言させるほうが、今の日本にとっては得策かもしれない。この人の書くものがおもしろいということは、すでに読者のほうがよくご存じだろう。母である藤原ていの『流れる星は生きている』の舞台、満州を母親をまじえて家族で旅行する「満州再訪記」は、満州国の出自と壊滅、それに翻弄された人間の物語として、書かれるべき人によって書かれた一文。満州国成立前後の世界と日本の状況が簡明にまとめられていて、へたな解説書などよりよほど時代の流れがよくわかる。一読の価値あり。
▼「国語教育絶対論」の項で触れているドーデ作「最後の授業」について一言。この小説はドイツに占領されたフランスのアルザス地方の教師が「フランス語を忘れない限り国は滅びない」と最後の授業で生徒に教え諭すという内容で、一時期までは日本の国語教科書では必ず取り上げられていました。藤原正彦氏も日本人が日本語を大切にすることを訴える材料として改めてこの小説に言及したのでしょうが、実のところドーデの小説はドイツ系の言語を話す子どもたちに外国語であるフランス語で授業をしていた教師の物語として現在では問題視されています。その間の事情について詳しく書かれた「ことばと国家」(田中克彦著/岩波新書81年刊ISBN: 4004201756)が出版されたことで、日本全国の国語の教科書からドーデの小説が一斉に姿を消してかなりの時間が経ちました。ですから「最後の授業」を例にとって国語の大切さを説くのは、残念ながら適当ではなかったと思います。
ですが、だからといってこのエッセイ集「祖国とは国語」の価値がないということでは決してありません。氏の日本語への愛情はとてもあつく、私たちが自分たちの言葉をもっと慈しむべきだということを教えてくれていることにかわりはないのですから。
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