実際の見田宗介氏の大学での講義をおこした内容で、「序論」「総論」「結論」(1〜6章+補章という構成)と読み進めるごとに社会学のエッセンスを存分に味わえる一冊。
「序章」
著者が実際現地で体験した事を交えて、世界と日本の差異を明らかにし、社会学は比較を通じて他者を明らかにする学問である事を言う。自分がどんな姿をしているのかは、鏡を覗かねばわからない。鏡に映ったあなたは奇妙ではありませんか?
「総論」「結論」
見田氏の論文の爽快さは、最初はちんぷんかんぷんで一見無関係に思える引用や用語が、結論できっちりと構造を成して姿を現すことだ。それはつまり、社会学の守備範囲の広さと、その社会学の宇宙の中で無限に相関しあうテーマを自分なりに組み替える作業という壮大なダイナミズムである。現代社会の課題と、あるべき未来、そしてその論じ方の手本が明快かつ論理的に語られている。
「補章」
見田氏のオリジナルの理論か否かはわからないが、〈共同体〉の変容について語られた他章より数段難しく感じられた章。ワタシの頭のわるさもあり、数回読み返した結果、点が一本の線になった。
著者は根っからのリベラリストである。喜びの創出こそが自己の至高性であり、またそれを支える、人々が安心して歓びを見つけだしその行動を侵害されないルールを作り出す事こそが社会構想の至高性である。イエスの「シーザーのものはシーザーに」という言葉を引用して、人間の歓びはもちろんその人間自身の下にあるべきものであり、ある支配者によって歓びを搾取されるべきものではないと言う。そのためには、歓びを保障するためのルールの決定さえも『シーザーの下』にあらねばならない。(≒民主主義の原理)複雑な価値観が交錯し合う現代社会において、我々にまず求められるのはいかにして他者の他者性を認めるか、ということである。他者性の理解は、自分という人間の存立と同義であるから。
特に印象に残った事は、現代の主要な論議である〈リベラリズムVS共同体主義〉の二項は本来対立すべきものではなく、相補的存在だという主張である。共同体主義は、自分の共同体のイデオロギーの全体性をしばしば過信するが、その過信は他者性の理解への道徳としてのルールに昇華することを通じて、リベラリズムすなわち〈交響するコミューン〉との共存を可能にする。
楽しく読めました。