碧梧桐に関しては、これまでアンソロジーなどで黙殺されたり、自由律以前の作品だけが取り沙汰されたりすることがありその全貌が容易には見えにくい感があった。が、2011年刊のこの岩波文庫はさすがである。『新傾向句集』以降の句集と句誌をきちんと含め、全体から2000句を収録し、さらに俳論「新傾向大要」「無中心論」「二十年間の迷妄」を含む。この全貌が見えてこそ、旧友・虚子による昭和12年の碧梧桐追悼句「たとふれば独楽のはじける如くなり」の深い味わいが腑に落ちるというものである。
以下余談。
たまたま手許にある大須賀乙字選の『碧梧桐句集』(大正5年刊)の序文は、(前略)「四十三年以後になると、殆ど拾ふ可き句がない。俳人碧梧桐を再び見ることは出来ないと思ふ。信に惜しいことである。其故にこれは序文にして又弔文である」とまで書いている。が、この岩波文庫を読み進める中で、「思はずもヒヨコ生まれぬ冬薔薇」(明治39年)について、くだんの大須賀乙字が「俳句界の新傾向」の中で陰約法もしくは暗示法の句として例示して論じたことにより、その乙字説が新傾向運動をさらにすすめることになったことを知った。自ら新傾向に火をつけた乙字がやがて「これは序文にして又弔文である」と書くに至るわけである。あまりにも深い。