三島由紀夫の『金閣寺』を読み南禅斬猫の話に惹かれ、その出典が『碧巌録』であると知ってよりいつか『碧巌録』を読みたいと思っていた。思えば三十有余年である。一番目につく本だったので岩波文庫を購入したが、はっきりいって不満である。
漢籍の場合は白文、読み下し文、語釈、現代語訳が揃っているのがスタンダードであり、実際岩波文庫でも大半はそうなっているはずだ。だから本書が現代語訳を欠いているのは欠陥といっても過言ではない。岩波書店からは単行本で現代語訳付きの『碧巌録』も出ているのでそれも買って2冊を並べて通読した。ちなみに結構高価な単行本の方にはなぜか読み下し文が載っていない。
現代語訳は専門家としての解釈を示すという意味があり、それがないというのは自信の欠如、もしくは責任回避であると考える。例えば岩波の『臨済録』の現代語訳はきわめて明快な素晴らしいものだった。
まさに啓蒙的意義からするなら、将来的には現代語訳付き『碧巌録』が文庫に(別に岩波にその気がないなら、ちくま学芸文庫という可能性もあるだろう)入ることが望ましい。