異国人であるアントニオーニが視た「いびつなアメリカ」が直截的に表現されている、実に分かりやすい映画だと思うのだが。
アメリカに対する、内側からの反抗だったニューシネマと違うのは、アントニオーニの視点は外側から、という事。映画は、学生運動のシーンから始まるが、主人公の青年は、暴動から脱出→盗んだセスナで荒野へ→ヒロインと出会う→死の谷への逃避行、と、社会で起こっているムーヴメントに同調する事はない。これは客観的な立場からアメリカを視た、アントニオーニの目線そのものではないか。
「ゾンビ」の中でロメロが描いた、アメリカ(銃社会や物質文明)への皮肉と同じように、「砂丘」では資本主義の加速によって「人の心」を喪失していってしまう社会への痛烈な批判を描いている。
モノが溢れかえっていた当時のアメリカ。しかし金がなければ、結局何一つ得る事はできない。サンドイッチすら買う金がない主人公は、巨大なサンドイッチペーストの広告看板の前で、途方にくれる。そして、ほんのひととき拝借したセスナを返しに戻った主人公の青年は、射殺されてしまう(!)しかもこれは実話に基づいたエピソードだという事が、なおさら衝撃だ。
ラストの、ヒロインが幻視したかのような大爆発のスランバー・パーティー。青年の死を知った、彼女の怒りそのままに破壊され、超絶スローモーションで飛び散ってゆく“それら”こそ、暴走し人の心を失った資本主義の肉片だ。
アントニオーニに関するこんな逸話がある。それは、ある映画のネタについて。
【ある男が恋をして、その女を追けて、教会に入る。ミサが終わって男が告白すると、女は言う−「私は明日から修道院に入ります」】
アントニオーニ曰く「これは最高のオープニングだ。でも私の映画はここで終わる」
「砂丘」は、行き先の見えない物語の始まりのようにも見える。
映画のラストは、やがて20世紀が終焉を迎え「崩壊していくアメリカ神話」のプロローグともとれないであろうか?