海沿いに砂丘のある北陸の町を舞台に、魅力的な登場人物たちを通して、日野啓三が総ての万物に通じる真実を描こうとする作品。
物語の初めでは、「私(=ゴースト)」が一人称で進められていたのに、途中から一人称が「ビッキー」に変わり、そして形而上的視点から「きみ」と「少年」のことを呼ぶ視点に変わり、最後は「盲目の姉」が一人称となりますが、そういった視点の切り替え方が新しく、筆者は主人公を一人に固定することを敢えてせずに、それぞれの登場人物の中にある、それぞれの宇宙というものを表現しようとしていたのではないかと思いました。そしてそれら個々の宇宙(意識)は、結局のところ離反したものでは無しに、一番深い所で、一つに繋がっているということを感じました。
また、筆者の無機物的なものへの偏愛というのは、ビッキーの思想に憑依していると同時に、彼自身の汚濁を濾過して汲み取られたような、無駄なき透明な文章からも伝わってきました。そしてそれはまるで、凝り固まった泥ではなく、一文字一文字が一粒の砂であり、正に「砂丘が動くように」、文章自体が自然な流れで進んでゆくのを感じました。
情景、というより「私(ゴースト)」が、街に到着し、街を観察する時の描写が凄く好きです。本当に実在する街を舞台に書かれたものなのでしょうが、綺麗で美しい現実的な描写です。こういった実在のリアルの隙間から、徐々に逸脱し超現実的な場面へ至るのですが、まさに日野氏ならではの真なる意味でのリアリズム、つまりシュールリアリスムの表現です。このように、日野氏の作品は、幻想的な表現を用いても、それが現実と離れずに、寧ろがっちりとコミットしているのが凄く魅力的です。これぞシュールリアリスムの大家たる所以ですが、氏の思想をさらに深く理解する為にも、これからもっと氏の作品を読んでゆきたく思います。