あのような時代にどのようにして一貫した歴史認識を持ちえたのか。これが、僕の石橋湛山に関する印象である。
戦前・戦中は在野のエコノミストとして、戦後は組閣するものの短期で退陣した首相として知られる。
しかし、その真骨頂は1910年代から73年の死去まで、ラディカルな言論人としての行動にある。それは、普通選挙運動や第一次世界大戦の参戦・シベリア出兵というロシア革命に対する干渉の日本の姿勢に対する批判に始まる。
軍部の力が台頭した1920年代には、「小日本主義」を掲げ、徹底不干渉・民族自立の尊重を主張し、朝鮮半島・台湾・遼東半島の植民地放棄、満州放棄を政治・経済・軍事・国際関係等の様々な角度から説いた。特に、植民地等を放棄し独立を認め、対朝鮮・中国貿易を促進する方が経済的に日本に有利であるとする論拠には圧巻である。
石橋は、もちろん日中戦争・太平洋戦争に反対を続けながら、終戦を迎えた。戦後日本の経済繁栄をみると、彼の主張が正しかったことが証明されている。
また、首相退陣後の石橋は、冷戦を分析したうえでのソ連・中国との外交関係改善活動や「日中米ソ平和同盟」構想の発表等の活動を行った。この書は、これまではあまり研究の対象とならかった首相退陣後の石橋についても記してあり、とても新鮮に感じた。