新書ぐらいの大きさのこの一冊に、 少し前の日本の女性の言葉、大事に伝え、今の時代の言葉に活かしていきたい言葉があります。
「諸国の天女」。この詩からこの詩人を知る人は多いかもしれません。知らない人は、この詩をまず読んだほうがわかりやすいかも。家族や、日々の生活や、慣習という形の地上の引力に逆らってまでも飛ぶことはできなかった天女。戦前、戦中、戦後、そういう時代だった、といえばそれまでかもしれませんが、著者もそんな天女の一人であり、そんな天女の思いが詩とは少し違うかたちでこの本に綴られています。淡々と短い文章の形で語られると、言葉が詩に結晶したときとまた違い、なにかほろほろとすぐに崩れて心の中で静かにつもっていくような気がします。
バスの中で揉みくちゃにされ一輪だけ残った花を抱く花瓶の話(黄菊)の切なさ。「忠義はなぜこわいか。人の忠義を誉めるからである。(忠義)」のように、心に突き刺さる力も持っている文章もあります。「愛とは/ 相手の中に未知の大陸を感じることなのだ。・・・(愛とは)」には人とのつながりの、広がりのある暖かさがあるのに、「愛人」という言葉があり/その内容がなければ/殺して埋める事も、さもたやすい。(同じく)」には同じ愛の痛さがひびきます。
作者は茨木のり子さん、石垣りんさんと同様に、20世紀の日本を生き、鮮烈な詩を残してくれた作家です。茨木のり子さんの明るい鋭さ、石垣りんさんのおおらかで上品なしぶとさとくらべたら少し湿っぽくて重たいかもしれません。どん、と沈んでくるものがあります。りんさんやのり子さんが都会の舗装の固さ、歩きやすさなら、清子さんのは田舎道、田んぼの湿り気のような感じです。
21世紀の日本にも、天女はいるでしょう。「才能を活かしなさい」「どんどん女性も出て行きなさい」という声も増え、縛り付ける力は減ったけれども、かえってどこへ飛んでいけば良いのかわからなかったり、飛ぶ力もまだないまま、むりやり「打ち上げられ」てしまうこともあるのかもしれません。それに打ち勝って、自力で飛ぶための力をつけるために、重力が必要なこともある。そんなことも、苦労の中から紡がれてきたこれらの文章を読むと考えてしまいます。