これは面白いな。1992年と2009年の間には17年の歳月が流れていますが、対談の論点は、インターネットと携帯の持つインプリケーションへの言及を除くと、基本的な部分では何も変わりません。もっとも1992年の対談は諸般の事情で当時は陽の目を見なかったようですが。
対談は、つまるところ合理主義的な人間観に代表される「経済学的」な思惟(心の病)への懐疑と特徴付けることができます。数量への還元による「得」と「損」という判断基準、進歩幻想に基づくsocial engineeringへの志向の危険性が完膚なきまでに指摘されることになります。
この劣化に貢献した少なからぬ数の「知識人たち」の姿はグロテスクなものです。日本人の大多数の本質を生存本能のみに突き動かされるゴキブリと捉えた部分は慧眼です。古典への言及に基づいて、ヨーロッパの「先駆性」が、何度も西部氏により指摘されますが、ユーロ問題に代表される欧州の現状は、必ずしも楽観的なものではないでしょうが。
1992年に存在した両者の間の溝は、波頭氏の成熟により狭まっています。しかし驚くべきことに西部氏の立ち位置はほとんど変わることなく、1992年の疑念がますます深まっているようです。おそらく西部氏は今後も変わることはないでしょう。そしてどの程度、波頭氏が今後変貌していくのか?10年後の再討論を期待したいものです。