日本では死滅してしまった「知識人(Intellectuals)」を再検討する1冊。日本で知識人といわれる人々は、多分1970年代で死滅してしまったのではなかろうか。知識人は、日本のマスコミで持てはやされる評論家(critic or reviewer)ではない、彼らは知識において専門性を持っているに過ぎない。知識人は、世間的に彼・彼女の知見が影響力を与える立場にあるので、英語圏ではpublic intellectualsとも呼ばれる存在なのである。世界的にも衰退の一途を辿っているが、日本では死滅したに等しい。だが、欧米先進国では未だに健在である。つまりマスメディアの健全性と大学の知的生産性が知識人の生死を決しているように思われる。
そこで社会認識論(social epistemology)のリーダーでもあるスティーヴ・フラーは、既に何冊かの邦訳もあるが、このレッド・ブックに掲載されそうな人種である知識人の後衛を育成せんがために本書を著した。その意図は、日本の大学教師には耳が痛い警句で始まる。「次世代の知識人を育てる立場にいることだけは忘れないようにしよう。批判的な知性の最初の発露である、自由奔放でしばしば向こう見ずな若者の精神を、制圧したいと思う誘惑に抗しよう。自分の知っている既成のルールや基準に頼ろうとするのは安易に過ぎる。・・・学問の自由とは二面的である。教える自由だけでなく、学ぶ自由も、そこには含まれている。知識人は、学生の学問の自由が尊重されるときに、そこから育っていくものである。(p.15)」
そして、哲学者と知識人違いを、古くはソクラテスから現代のリチャード・ローティやエドワード・サイードの議論を踏まえて、総合的に展開する。時々噴出したくなる一歩手前で立ち止まるユーモラスな表現を踏まえて、次世代のために書かれた本だが、滋味でこくのある議論が展開する。索引と文献目録(邦訳も併記)も巻末に具備。村上陽一郎氏とお弟子さんたちが著者の講義やゼミナールに参加して以降の仕事であり、精確な訳を心がけられている。
日本でも知識人が再度蘇えるためにも、高等教育論に関心をお持ちの方など多くの物を考える人々には必読の書物である。