辺見庸が3.11後に書き綴った詩集。
ふたつの章のうち、2章は全て書き下ろし。
「悼む」ということは、これほど自他を傷つけるものだったか。
言葉を発するということの重さを感じさせる、
2011年を代表する本の一冊だと思う。
実際の「おびただしい死」を前に、著者の言葉は『生首』からさらに
変化せざるを得なかった。そういう批評的な言葉が無効化するほど、
どうやって書いているのか見当もつかない、
木の枝を折り、血を流しながら削り出して作った凶器のような言葉。
無数の傷を負った状態で泥の中を這うような読「中」感。
いくら読んでも読み終えた気になれない。
記憶を彷徨うような「行方」「赤い入江」。
闇の中で未来を照射するような「フィズィマリウラ」。
痛みを感じると同時に、心の奥の何かを掬いとられる。
私たちが、今生きている世界はどのような世界なのか。
私たちは心の底から他者を悼むことができる。
同時に、他者を悼むふりをすることもできる。
その気になれば、他者を悼むことをスマートに/効率的に消費することもできる、
ような気がする。
ある意味では、私たちは震災が起こるずっと前から
静かな暴力性に満ちた世界ですでに生きてきている。
著者が対峙しているのは、見つめているのはそうした世界だ。
著者の故郷・石巻を破壊したあの「海」であると同時に
私たちが知らず知らずのうちに作り上げ、完成させてしまっている
この世界の暴力性そのものなのではないかと思う。