「映画」とはなにか?
それは演ずる俳優たちにとっても監督にとって一つの命題であろう
(おそらく観る者たちにとっても)
音楽が時間の芸術であるように映画には一つのリズムがある
眠狂四郎シリーズには第二次大戦後の敗戦国日本の隠してきた連合国進駐に伴う
鳥尾敬光子爵夫人とGHQ高官のスキャンダル
(一般兵はRAAと呼ばれる日本政府が用意した慰安所、高級将校は華族令嬢とかを愛人としてた)
そして、その落とし子たちの計画的処理でもあるサンダースホーム等の問題、また価値観崩壊のアノミーの問題があるのだが、、、
(江戸時代の戯作者以来の伝統で現状批判を過去になぞらえるのです、、、
原作者の柴田氏の故郷、岡山は隠れキリシタン伝承もわずかに残りますが)
それらを娯楽としてつつみこみながら
演ずる市川雷蔵、撮影するカメラマン・監督も含め大衆芸術としてのフィルム映画の
リズムが出来事を焼き付けている
丸太を至近距離で振り回す、その風の音が頬を切る距離でも動じない雷蔵氏には
かかえていた病や虚無感よりもむしろ映画人としての「矜持」を感じる
(それこそが原作者がGHQのつくった戦後日本と江戸時代を舞台として入れ替えた思いであるだろう、柴田氏は我々に「矜持」を持って欲しかったのでしょう)
俳優たち
監督
脚本
カメラマン
それぞれに注目してみると当時の映画が持っていた「熱気」と「矜持」を感じる、、、
最近のテレビがつまらない、視聴率が悪いと言うが、そういう人たちにこそ
ぜひ見て欲しいシリーズであります、、、、
(逆にいえば、最近のテレビ出身の監督の時間・フィルムのリズムのわるさ
は「映画的であること」の無自覚さからくるのであろう)
撮影に使われるバックに流れる「鳥」の声の多様さ、、、
この鳥は死の象徴でもあり、どこか魂の救いでもあり、、、
そしてフィルムを見る側にも未来にわたって
おそらく二度と作られることのない矜持を感じさせてくれる「映画」でありつづける、、、