鳥羽亮さんの本は、私の愛読書の一つでしたが、読んでいて表現に違和感を感じるようになりました。
真田幸村の遺言の上下巻も、内容としては面白く納得のいくものですが、表現がワンパターンで、読んでいて「またか」の連続でした。
それは「目をひからせて」「細い目が刺すように」「双眸をひからせて」「虚空を睨むように」「虚空を見すえながら」等の表現が、随所に出てきます。中には忍者までが「目をひからせ」ます。
時代小説が大好きで、私はこれしか読みません。それだけに、「武士は心のうちを読まれないように、目は細めている」のは常識であり、やたらと「目」や「双眸」をひからせるのは、「武士にあるまじき行為ではないか」という思いがつのります。私の勘違いでしょうか。
テレビの時代劇でも、武士が両目をむいて刀を交える場面が多々ありますが、たまらない失望感を味わっています。
燃える胸の内を表現しているのでしょうが、作家ならではの工夫がひつようなのでは、と私は思いますが、如何でしょうか。