デビュー作の『ラリー・フリント』のE.ノートンを知っていただけに、もうすっかりこの映画の彼にはやられてしまいました(全然違いますよ)。本当に凄いです。この後彼は『ファイト・クラブ』や『アメリカン・ヒストリーX』で完全に時代を飲み込み、2000年代最高の俳優であるとの評価も高いのですが、今もってこの映画の彼を超える衝撃はないと思われます。
もともとこの映画には素晴らしい原作があって、そこでは色々な人物に深みのある設定がなされていて、非常に味わい豊かな一作となっています。映画だけを見ると一見蛇足的に見えるエピソードも、原作では一つの大きな潮流を形作っているのです(例えば宅地開発に伴う名士と地元マフィアの対立、そして法廷での復讐なんかがそうです)。夜の酒場での会話や、法廷のライバルとなった元恋人を翻弄しつつも申し訳なさを抱える主人公、そして女性であると言うことの足枷に直面せざるを得ない元恋人…。細部がしっかり撮られているのです。だからこそ最後の大どんでん返しが映えるのです。
主人公のベイルは色々な欺瞞に挑み、闘っていきます。大司教の悪徳、町の名士の汚職、法曹界の権威、果ては名声を追い求めて目的のために手段を選ばない自分自身とも。しかし最後の最後、本物の「悪」と対峙した時、自分が達成しようと努力していたものが所詮ヒロイズムに過ぎなく、そしてあまりにも無力であったことに気付かされ、そして「根源的な恐怖=primal fear」に対面するのです。この映画のラスト、R.ギアの後ろ姿が切ないのは単に「恐るべき真実」に打ちひしがれただけではないのです。かつて観た『チャイナ・タウン』や『ガルシアの首』のエンディングの余韻に近いものがあります。E.ノートンの存在あってこそこの映画は語り継がれていくのでしょうが、しかしもっと正当な評価をしてあげたいと思うのです。名作です。