イラク人質解放に際しての某政治家のみみっちく傲慢な説教ぶりにあきれ果て、青山ブックセンター経営再建への偽善的で「幸福の手紙」みたいな署名メールの輪にむかむかし、灰かぶりキャベツを「生産農家への支援」と語って一個百円で買う主婦に「安いから買ったと言え」と啖呵を切り、今さらながら「近代文学は終わった」という某評論家を「二周遅れの長距離走者」と喝破し、中原昌也を「ああ見えて、実に教養豊かで、誰も読んでいない本、誰も見たことのない映画に詳しい」と揶揄する某作家に、私の読んでいない本、私が見たことのない映画と書け、と欺瞞を暴く。以上の「某」はもちろん全て実名で、相変わらず、あまりの鋭さと流れるような文章の巧みさに惚れ惚れする。
そんな中でふっと頬が緩むのが、深夜、雨の中、隣の駐車場のベンツの下にたてこもったトラーをあの手この手で救出しようとするくだりや、前著「目白雑録」の単行本の見本刷りが届くくだり。金井氏も、ブックデザインを手掛けた姉久美子氏も、“幾分ワクワク”して、それぞれ見本刷りを手にして自室に籠る。出来たての本を眺め、ページをめくり、“絵やオブジェを完成させたり、小説を書きおえた時とは別種の、一冊の本が出来あがった時の興奮というものがあって、それを手にするたびに、私は本によって作られてきたのだ、という気がややオーヴァーにして、子供の頃から表紙を開いては読んだ様々な本の感触が呼びさまされ、あんなに好きだったんだもの、ほらあ、やっぱり私たちは本を作ったんじゃないか、という幼稚な誇らしさを、電気を消した寝床の中でそっと微笑で呑み込む”……毒舌も、博識も、平成の小説の神様とも言える才能もさることながら、金井氏の素晴らしさは、ページをめくる指の歓びを存分に味わわせてくれることなのだ。