冒頭の四方田犬彦の総論1「映画は監督のものである。そうでなければならない」は刺激的な論考でした。ひとくちで言ってしまえば、作家主義を相対化しているからです。映画を監督中心に論評し、その特異性を評価する姿勢はカイエ・デ・シネマの論陣で確立し、現在に受け継がれているといえますが、圧倒的なテレビ作品の氾濫、DVDの大洪水による歴史性の消滅=過去の名作も現在のチープな作品も同列に並べられて鑑賞され、興業的な失敗作も芸術的な成功作も区別なく、公開当時のジャンルも無視されて楽しむことの出来る状況のなかで、単純な作家主義はもはや無意味となっています。
四方田犬彦が言う映画批評の原点は、作家も時代の子であるという認識に立ち戻れということだと理解しましたが、それは言うは易く、実現はなかなか困難な仕事だと思います。
具体的な監督論としては諸氏による小津安二郎、田坂具隆、溝口健二、三島由紀夫、勝新太郎論が収録されています。映像作家としての勝新論は注目すべきだと思います。折よく2010年11月衛星劇場で勝新監督・主演の傑作『顔役』が放映されました。こんな傑作が埋もれていたのかと目を開かれた人も多いと思います。幸い勝新監督作品の多くがDVDなどで見られる時代です。わがベスト監督・勝新に陽が当たって欲しいところです。
四方田氏の俳優論も作家主義と同様のスタンス、つまり時代の文化の顔としての俳優論です。したがって三益愛子や佐田啓二や歌舞伎役者が論じられることになります。