内容紹介
2008年12月、部員の不祥事により監督を辞任。明けて2009年1月、箱根駅伝で手塩にかけたチームは往路・復路を制覇し悲願の完全優勝を果たす。シドニー五輪男子マラソン代表選手にして元東洋大学陸上競技部監督、川嶋伸次が綴る「走り」へのオマージュ。悲運の将、川嶋伸次が、自らの体験を通して描いた指導者の在り方、組織づくり、コーチング、そして「走ること」の素晴らしさ。特上のノンフィクション。
内容(「BOOK」データベースより)
2008年12月、部員の不祥事により監督を辞任。明けて2009年1月、箱根駅伝で手塩にかけたチームは往路・復路を制覇し悲願の完全優勝を果たす。シドニー五輪男子マラソン代表選手にして元東洋大学陸上競技部監督、川嶋伸次が綴る「走り」へのオマージュ。
著者について
1966年東京都生まれ。飯野高校時代にはインターハイ1500mで2位、1984年全国高校5000mランキング1位。鳴り物入りで日本体育大学に進学しトラックでは3000mSC、駅伝では箱根駅伝復路6区の山下りで区間賞を取るなど同大学の躍進に大きく寄与。
1989年旭化成陸上競技部に入部、各種駅伝大会などで活躍しミスター駅伝の異名をとる。1996年2月東京国際マラソン6位、同年8月開催のアトランタオリンピック男子マラソン補欠。2000年3月びわ湖毎日マラソンで2時間9分4秒の自己ベストを出し日本人選手トップの2位、同年10月開催のシドニーオリンピック男子マラソン代表となり17位(日本人選手3人の内トップ)。
2001年、現役を引退。
2002年1月、東洋大学陸上競技部の監督に就任。チームの大胆な改革を行い箱根駅伝出場に導く。2008年12月、陸上部部員の一人が痴漢行為で逮捕され、その責を負い監督を辞任。翌月の2009年箱根駅伝では、東洋大学が悲願の初優勝を果たす。
1989年旭化成陸上競技部に入部、各種駅伝大会などで活躍しミスター駅伝の異名をとる。1996年2月東京国際マラソン6位、同年8月開催のアトランタオリンピック男子マラソン補欠。2000年3月びわ湖毎日マラソンで2時間9分4秒の自己ベストを出し日本人選手トップの2位、同年10月開催のシドニーオリンピック男子マラソン代表となり17位(日本人選手3人の内トップ)。
2001年、現役を引退。
2002年1月、東洋大学陸上競技部の監督に就任。チームの大胆な改革を行い箱根駅伝出場に導く。2008年12月、陸上部部員の一人が痴漢行為で逮捕され、その責を負い監督を辞任。翌月の2009年箱根駅伝では、東洋大学が悲願の初優勝を果たす。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
川嶋 伸次
1966年東京都生まれ。飯能高校時代は全国高校総体(インターハイ)1500mで2位。日本体育大学に進学し、トラックでは3000mSC、駅伝では箱根駅伝復路6区の山下りで区間賞を取るなど同大学の躍進に大きく貢献。89年旭化成陸上競技部に入部すると各種駅伝大会などで活躍。シドニーオリンピック男子マラソン代表。02年1月からは東洋大学陸上競技部の監督(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1966年東京都生まれ。飯能高校時代は全国高校総体(インターハイ)1500mで2位。日本体育大学に進学し、トラックでは3000mSC、駅伝では箱根駅伝復路6区の山下りで区間賞を取るなど同大学の躍進に大きく貢献。89年旭化成陸上競技部に入部すると各種駅伝大会などで活躍。シドニーオリンピック男子マラソン代表。02年1月からは東洋大学陸上競技部の監督(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)