江戸時代には、皇族の家、つまりは宮家は四つしかなかった。
立てられた順に言うと、伏見宮、桂宮、有栖川宮、閑院宮家で、この四宮家が世襲親王家
あるいは四親王家と称された。
ところが王政復古の数年前にいたって、伏見宮家から、中川宮家(のちの賀陽宮(かやのみや)、久邇宮)
山階宮家である。さらに、伏見宮家から弟王、男子が次々に還俗、梨本宮、北白川宮、東伏見宮(のちの小松宮)
華頂宮である。かつて宮家は十家の数を数えることとなった。
しかし、明治政府には金がない。そこで「一代宮家」のせいが定められたのである。
「四天皇家のほか、新たにお取立てに相成り候親王家の儀、二代目より賜姓華族に列せられ候こと」
おもしろい。