スケコマシ、やくざ、ソープ嬢、セックスと暴力と追跡と悲哀。小説を素数にバラしていくとそういうもので構成されている。それらを組み立てて描かれるのは、コツコツと貯めた金を全て妻に持ち逃げされた情けない‘オッサン’の叙情的な冒険である。
うらぶれた中年の主人公は公衆便所でマッチョなゲイの若者にワークブーツで前歯を折られ、逃げた妻の弟のヤクザものとたどたどしい労わり合いを交わし、その義弟に引き合わされた年若いソープ嬢の彼女と痴態の限りを尽くしながら、もう誰も望んですらいない妻の追跡を続ける。
お話としてはそういうことなのだが、実は花村萬月という作家にとってプロットは全く重要ではない。むしろ合理的、あるいは論理的な起承転結を拒否したところから小説はスタートしている。
愛しながら憎み、喜びながら泣き、怒りながら悲しむ。そうしたアンビバレントなことごとを緻密に描写していく様は超越したリアリズムである。女房に逃げられたばかりの中年男が何故ソープ嬢と恋に落ちるのか、ヤクザもので下品な逃げた女房の弟と何故家族愛を持てるのか、そうした‘オッサン’の心象風景を丹念かつ緻密に描いて作品は出来上がっている。
しかしながらそうした‘デッサン力’がいかに高かろうとも、そこに出来上がる一幅の絵が人の心を打たないことには、絵としての価値が無い。そして実はその意味でこそ真にこの作品に高い価値があると言えるのだ。
上質な文章に支えられて確かな輪郭で仕上げられた陰影は‘生きる’リアリティを鮮烈に描き、質の高い大衆文学となり得ている。簡単に言えば「刺激的で、面白いのに、チャチじゃない」
読んでいない方には是非。