本書は「百人斬り競争名誉毀損訴訟裁判」の経過だけではなく、「百人斬り」との出会い、証人探しなど訴訟に向けての準備や、裁判ではほとんど採用されなかった多くの証言、また著者が衆議院選挙に立候補するまでの経緯も書かれています。若干随筆風な構成と新書ということもあり、一気に読むことができました。
本書を読みますと、「百人斬り」が、あらゆる点から見て事実無根だったことが分かります。しかし裁判所の訴訟指揮は、原告側の多くの証人のうち一人しか採用せず、被告の本田勝一氏に対する当事者尋問、原告である被害者遺族の当事者尋問も行なわないという、「最初から原告(遺族)を勝たせるわけにはいかないという判断があった」(p.184)としか考えられないものでした。「最初から判決ありき」という点はあの、山口母子殺害事件での無期懲役判決にも通じるものです。私たちにとっても「判決は何から何まで絶対に正しい」という考えが、いかに無知で危険なものか、教えてくれます。
また被告の毎日新聞と朝日新聞についても、怒りを通り越して恐怖すら感じます。当時この記事を掲載した毎日新聞は「新聞に真実を報道する法的な義務はない」(p.69)と言い、新聞社であることを自ら否定しました。また本田勝一氏の「中国の旅」を何の検証もなく掲載し「百人斬り」を復活させた朝日新聞は今、著者が映画「靖国」への国からの助成金が適切か否かを検証しただけなのに「映画公開前に見せろと言った」と誤報し、著者が映画公開に圧力をかけたかのような印象を広めました(WiLL 2008年6月号 p.102〜)。よほど被告とされたことが憎いのでしょう。
それにしても、なぜ日本国に対する名誉毀損を、国ではなく一私人が晴らさなくてはいけないのでしょうか。私は、国家や国民の名誉が毀損されたら、国家が全力をもって戦うのが常識だと信じています。しかしわが国は、数々起こされている戦後賠償訴訟について、その事実関係すら争わないという体たらくです(p.21)。著者は、国家の名誉回復は裁判ではなく政治の場で行なうしかないと決意し、衆議院議員になりました。つまり、わが国の名誉回復は、私たち日本人一人一人にしかできないのです。