19世紀末から20世紀初にかけて活躍した英国怪奇幻想文学の巨匠マッケンの代表的中短編5編を集成するオリジナル傑作集です。怪奇幻想小説の出来不出来を判断する評価基準は当然読み手をどれだけ怖がらせてくれるかという点にあると思いますが、私が感じた本書の魅力は読者を震え戦かせる恐怖にはなく、先にどんな無残な結末が待っていようとも怖れる事なく妖しい期待に心惹かれて平凡な日常から懐かしい芳香漂う妖魔(あやかし)の世界へと誘われて行く何処か魅惑的な憧れの想いにあると感じました。
表題作『白魔』緑色の手帳に記された少女の手記が、森の中で遭遇した奇妙で妖しげな「白い人」に魅せられ導かれて行く物語を語ります。しばしば「アクロ文字」「カイアン語」「クシュー言葉」「邪悪なヴーア」といった謎めいた語句や意味不明な風景描写が出て来て物語の全てを完全に理解するのは不可能ではありますが不思議と大きな不満は感じずに読み進められ、中盤の乳母が少女に教えてくれた魔女のお姫さまが人形を使って悪事を為す物語などは恐怖童話の魅力に溢れていて後々まで忘れ難く記憶に残ります。『生活のかけら』ロンドンの銀行に勤め平凡な毎日を送る男が遺贈した10ポンドの使い道について妻と議論する日常生活に倦み疲れ、やがてウェールズの田舎の古い記憶が心に甦り次第に本来の自分を取り戻して行く。主人公が6月の夜中に外を眺めて秧鶏(くいな)や夜鷹や夜鶯(ナイチンゲール)の啼き声に耳を傾ける場面や計画の上で夜中の三時に起き出しロンドンを彷徨い歩き奇妙な道を辿る場面は、日々の仕事に忙殺されながら諦めている私達の心に束の間の安らぎと喜びを呼び起こし深い共感の念を抱かせてくれます。
本書は幻想の世界に戯れる全くの絵空事で現実的な書物ではありませんが、心が疲れてしまった時にもう一度読み返したい普遍的で貴重な一冊として大切にしたいと思います。