『白痴だったの、私だわ!』の台詞の部分ではないだろうか。
それにしても、久我美子はオードリー・ヘップバーンの好調時くらいの存在感があった。結構、ドストエフスキーも
満足の出来だと思う。ドストエフスキー的な、ドストエフスキーの世界の雰囲気を身にまとった登場人物は唯一綾子だけだ。
ついでにいうと、『醜聞』の志村喬の演技も、ドストエフスキーは大満足だと思う。
松竹ボックスのシナリオ本は、たしかに幻の『白痴』を探るのに役に立たちそうな内容だ。ちょっと読んだだけでも違いがわかる。
導入の部分の内容が中心になってかなり削られている。後半の部分は、被害がほとんどない。描写の時間の短縮とかはあるかもしれないが……
また、自分の目で実際に文字を追って映画を読むと幻の『白痴』とは別の意味で興味を引かれる。
たとえば、『白痴』が(黒澤の)映画文法で可能な限り完璧に、映画化されているなとわかり驚いた。黒澤は、ドストエフスキーの『白痴』に
おけるドラマの構成を完全に把握し、映画というメディアに置き換えられるものはほぼ完全に置き換え、映画に
向かない無数のこまかなエピソードの連関は潔く捨て去っている。その計算の見事さに圧倒された。その様子は
オリジナルシナリオ本とDVDを見比べれば明白だ。
黒澤は、ドストエフスキーが小説というメディアを理解していると同じくらい、映画というメディアを理解している。
オリジナルの四時間版は、観る人が観れば、よりドストエフスキー的な色が増すかもしれないが、正規版でだめな人が
4時間版で開眼するというタイプのものではないような気にもなった。