著者は文化人類学者で言語学者。かつ名文家の誉れ高く、様々なところへ文章を寄せている。
また、理解を越えた頭脳の持ち主であり、操れる言語は相当な数に上る。
その言語は誰もが思いつくメジャーな言語から異なる言語を話す集落どおしで話すときだけ使われる数百人だけが話す
マイナーな言語まで多彩である。
以前、聞いた話では2週間も籠もれば、はじめて学ぶ言語でも一定レベルで操れるようになるとのことであった。
本書は、そんな著者が世界各地を訪れ、書かれた紀行文である。
多くの言語を操れるだけあり、その土地(場合によっては未開の地)でも現地の人々とのコミュニケーションから得た情報
が書かれており、現地でのやり取りも面白い。
中でも、アフリカのザンジバルで、走っている自動車の多くが日本車なのだが、会社名や商店名が日本語で書かれたまま
なのはなぜかと著者が現地の人に問い、実はその意味のわからない複雑な模様(日本語)が盗難の多い当地においては
絶好の目印となるから、という回答が得られるやり取りは、その土地土地での知恵があるものだと思わず感心してしまった。
また、本書はそうした現地での出来事や思索が書かれているだけでなく、その土地から想起される著者のランボーやロルカ、
著者が親交のあった金子光晴らの過去の思い出も描かれており、それらが本書をより深みのあるものにしている。
「街の片隅でも、物語は次々に生まれ、そしてひっそりと消え去っていく」と著者は最後に記しているが、そんな記録に
残らない物語の一つひとつが一人の人間を形作っているのだということを感じさせれられる。
そんな一冊である。