これまで女性が中絶することの「権利」は、リベラリズムにその思想的な根拠が求められていた。しかし、フェミニズムが主張する「リプロダクティブ・フリーダム」(産む産まないは女が決める)ということと、リベラリズムによって擁護される中絶の「権利」には(言語化するには難しい)ズレがあり、本書の内容を簡潔に言えば、そのフェミニズムとリベラリズムの「ズレ」を言語化し浮き彫りにしようとする試みである。
そしてそれが実にわかりやすい形で成功しているのが本書の素晴らしいところだ。
三部構成になっており、第一部では過去に行われたリベラリズムとフェミニズムの論争(井上達夫・加藤周一の論争)を題材にして、リベラリズムとフェミニズムのすれ違いから生じる問題点を考える。
第二部では、胎児の道徳的な地位について。
胎児は母親の「所有物」であるのか、もしくは母親とは別個の独立した「権利主体」足りえるのか。
フェミニズムはそのどちらも否定するが、ここで思い知らされるのは男性が作ってきた法や概念のみで女性の中絶を云々することの限界である。
胎児が「私であって私でないもの」「自己とも他者とも言えない曖昧な両義的な存在」だという感覚は、これまでの男性が作り上げてきた法や概念では完全に表現すること等不可能なのだ。
第三部では、中絶の「権利」を、国家が干渉することを禁ずる個人の権利「プライバシー権」として考えることの是非について。
プライバシー権はリベラリズムから生ずる権利であり、読者はここでわかりやすくリベラリズムの本質を理解することができるが、最終的にはフェミニズムが主張するリプロダクティブ・フリーダムをプライバシー権だとすることは否定される。
著者の文章では問題点がわかりやすくまとめられており、読み進めていく間理解に困る部分は全くといって良いほど無かった。
ジェンダーに関する社会学はもちろん、法理学・政治哲学・生命倫理について興味がある方には是非読んで頂きたい。